ふるさと物語 16 藩政時代の町と村

「広報しわ」に掲載された記事を原文のまま転載する形式により、紫波町の歴史や人物について読み物風に紹介しています。(第1回昭和37年3月号から第201回昭和56年4月5日号まで掲載)
そのため、現在においては不適切とされる表現や歴史認識がある場合がありますのでご了承願います。

「ふるさと物語」〈昭和38年10月5日発行「広報しわ」(第99号)〉

藩政時代の町と村

南部氏は初め十万石であったが、寛文五年には八万石の盛岡南部氏と二万石の八戸南部氏に分割された。この時本町では上平沢、片寄、稲藤、土舘の四か村が八戸南部に編入されている。
盛岡藩では享保二十年に領内を三十三通に分けて支配したが、本村の通と村の関係は次のようである。
(日詰通)
二日町新田村、日詰新田村、宮手村、鱒沢村、平沢村、桜の町村、北日詰村、南日詰村、犬淵村
(長岡通)
彦部村、大巻村、星山村、犬吠森村、草刈村。西長岡村、東長岡村、北田村、山屋村、赤沢村、舟久保村、遠山村
(伝法寺通)
上松本村、吉水村、下松本村、小屋敷村、南伝法寺村
(上田通)
北沢村、栃内村、江柄村、紫野村
(遠野通)
佐比内村
これに八戸領の四か村を加えて三十五か村となるが、この中には南・中・北片寄せ村、作り岡村、永福寺村、大荘厳寺村、赤川村のような私称の村もあった。
一〜二の通毎に一代官所が置かれて管内の村を支配していたが、本町の二日町には日詰・長岡通を支配する郡山代官所があり、十日市には徳田・伝法寺通を管理する徳田代官所があった。また上平沢字馬場には八戸藩の志和代官所があり、佐比内にも遠野支藩の代官所があった。この代官所には輪番に勤務する二人の代官とこれを補佐する下代や若干の役人が配置されていた。
盛岡藩の村には村長役に当る肝煎(きもいり)とこれを助ける老名(おとな)があったが、八戸藩では村長役を名主といった。当時の村は、これらの村役人を中心として自治を行っていたのである。
本町にはこれらの村の外に日詰・上町・下町のいわゆる郡山三町があったがここには検断という町役人がおかれていた。
−−佐藤 正雄(故人)−−−

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