ふるさと物語 30 南部の曲屋

「ふるさと物語」【30】〈昭和40年9月10日発行「広報しわ」(第122号)〉

広報しわ」に掲載された記事を原文のまま転載する形式により、紫波町の歴史や人物について読み物風に紹介しています。
(第1回昭和37年3月号から第201回昭和56年4月5日号まで掲載)
そのため、現在においては不適切とされる表現や歴史認識がある場合がありますのでご了承願います。

南部の曲屋

当地方の曲がり屋は俗に南部の曲屋といわれて全国的に有名である。その間取りは河西と河東では若干の違いがあるが、基本的には三つの部分から構成されておりそこに曲屋の発達の跡がうかがわれる。
第一は建物の中央部に当るところで、じょう居・ねどこ・茶の間・台所・にわ等の一群の間取りがそれである。これは古い時代の主屋の原型である田子型の間取りが変形したもので、この部分にはふすま・障子・畳等は用いられず板戸に板間で天床を張らないのが原則である。(今は変わってしまったが)即ち鎌倉時代の武家造りを想わせる質素で荒い造りが特徴である。
第二は座敷とよばれる部分で、上中下の三つに区切られるのが一般であるが、昔肝入(名主)等を勤めた旧家のうちには「はかま座敷」と称して代官等と接見する際に袴を着用するために用いた特別な座敷がある。
これら座敷の部分は何れも前者とは違って障子・ふすま・畳等が用いられているし天床も張られ上座敷には床の間や仏間をあつらえるのが原則である。即ち室町時代に発達した書院造りの型式を取り入れたもので前者に比べると新しい型の建築様式である。畳はふだんは重ねておき来客がある時にだけ敷くのが建前であった。
第三は曲屋を特徴づけている厩(馬屋)の部分である。一般に曲屋の馬屋は愛馬精神に発するものと考えられているが、機能の上からすると厩肥の製造所として発達したとみる方が正しかろう。昔は厩肥が最大の肥料源であったが、恩師森博士の研究によると水田五反歩に施す厩肥を得るためには常時一頭の馬を飼う必要があったという。
−−佐藤 正雄(故人)−−−

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