ふるさと物語 32 樋爪氏をめぐる人々

「ふるさと物語」【32】〈昭和40年11月10日発行「広報しわ」(第124号)〉

広報しわ」に掲載された記事を原文のまま転載する形式により、紫波町の歴史や人物
について読み物風に紹介しています。
(第1回昭和37年3月号から第201回昭和56年4月5日号まで掲載)
そのため、現在においては不適切とされる表現や歴史認識がある場合がありますので
ご了承願います。

謹んでこの小稿を佐藤政行翁の霊に捧ぐ

樋爪氏をめぐる人々

宇都宮市の川原町に樋爪五郎李秀衡の墓を伝えられるもののあることはかねて聞き
及んでいたが、今春史料調査のため須川幸一阿部宙剛の両氏と同行して関東へおもむ
いた際、折よく現地を訪ねて実見することができた。小さな祠の中に安置されてある二基の五重塔がそれだという。伝えによると、五郎は源頼朝によって宇都宮大明神の社職に配されたが、望郷の念もだしがたくひそかに同社を脱走してこの地まで来た時、討手の追跡を受けあえない最後をとげたという。ところで前日同市の県立図書館で関係資料をあさっている間に、五郎の子孫と称する者が江戸期の中頃三軒在家という所に住んでいたことがわかった。そこでその道を尋ねたいと思って傍の小店を訪れたら老年の主人が応じてくれた。談中、樋爪氏に関する記録をもっているという。早速見せて貰ったところ、これは意外にも日詰の種苗商佐藤政行翁の筆になるものであった。かって幾度か聞かされた樋爪氏の物語が、色あせた半罫紙にこまごまと書かれてあった。むべなるかなである。
ああ佐藤政行翁——翁ほど樋爪氏に愛着を感じていた人はなかったろう。自ら樋爪氏
家臣の子孫と称し、同氏に関する多くの口伝を集めてその語るところは正に佐藤史学の
感があった。もとより学問的研究を本命とする筆者とは、見解の分れるところも多く時には強い批判を受けることもあったが、その反面学究に益する点も少なくなかった。翁は樋爪舘の位置を五郎沼附近と城内の双方に求めていたが、これは卓見であるように思われる。
その翁も既になく今は樋爪氏をめぐる過去の人となった。翁の霊よ、安らかに眠られよ。

−−佐藤 正雄(故人)−−−

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