ふるさと物語 53 『平井六右衛門』江戸時代の人々(4)/紫波町

ふるさと物語 53 『平井六右衛門』江戸時代の人々(4)/紫波町

「ふるさと物語」【53】〈昭和43年9月10日発行「広報しわ」(第158)〉

「広報しわ」に掲載された記事を原文のまま転載する形式により、紫波町の歴史や人物について読み物風に紹介しています。
(第1回昭和37年3月号から第201回昭和56年4月5日号まで掲載)
そのため、現在においては不適切とされる表現や歴史認識がある場合がありますのでご了承願います。

『平井六右衛門』江戸時代の人々(4)

日詰町伊勢屋の初代六右衛門は伊勢の国松坂の出身と伝えられ、当町へは元和(1615〜24)のころに定住したといわれています。それ以来、同家では代々六右衛門を襲名してきました。
初代当時の家業は不明ですが二代目六右衛門の時には、八戸藩の蔵宿に指定されて倉庫業を本業とするようになりました。八戸藩では、年貢として収納した志和米はほとんど江戸へ送って商品化しましたが、その輸送は、もっぱら北上川の舟運が利用されました。
その中継基地として日詰・黒沢尻・石の巻の三ヵ所に設置されたのがいうところの蔵宿です。これらの業者は、それぞれ土蔵造りの倉庫と事務所をもち、若干の扶持米と一定の保管料を支給されて、江戸移出米の保管業務を担当していました。
嘉永から安政ごろの伊勢屋では年間一万俵程度を取扱いました。このほか、倉庫に余裕があれば民間の移出品も取扱いましたが、その中には、近江屋の江戸移出酒、志和産の檜柾(ひのきまさ)などがありました。
また伊勢屋では、江戸の米問屋の委託を受けて、郡山や花巻地方の農家から米を買い入れ、これを一旦自分の倉庫に保管してから、川舟を雇って日詰河港より江戸へ輸送するという業務も行っていました。
これは、藩に対する手続から購買輸送にいたるまでのいっさいの事務が委託主の名義で行われ、伊勢屋では一定の手数料と保管料を受取るという仕組みなので一種の代理業とみられましょう。
この外、兼業として宿屋の経営もやっていました。
宿屋には上・中・下の三段階がありましたが、伊勢屋は上宿として武士階級を対象とした経営でした。
要するに、井筒屋や美濃屋が純粋の商品販売を業としたのに対し伊勢屋の場合は、補助的な商業活動を業としたところに特徴があったわけです。
−−−佐藤 正雄(故人)−−−

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