ふるさと物語 63 『14能昌山庚申庵(日詰)』廃寺をたずねて(4)

「ふるさと物語」【63】〈昭和44年8月10日発行「広報しわ」(第168)〉

「広報しわ」に掲載された記事を原文のまま転載する形式により、紫波町の歴史や人物について読み物風に紹介しています。
(第1回昭和37年3月号から第201回昭和56年4月5日号まで掲載)
そのため、現在においては不適切とされる表現や歴史認識がある場合がありますのでご了承願います。

『14 能昌山庚申庵(日詰)』廃寺をたずねて(4)

盛岡大慈寺の末寺で、来迎寺の西側にありましたが、安永七年(1778)の大災で焼失し、廃寺となりました。
15 月山感通庵(日詰)
盛岡大慈寺の末寺というだけでくわしいことは知られていません。
16 地蔵庵(日詰)
圧誉欣心比丘(安永五年歿)によって開かれたもので、日詰町の西側にありました。
本尊の地蔵尊(自然石に線刻したもので現存)は元禄五年(1692)九月に作られたもので、もと大坪川のほとりにあったものを移したといわれます。
俗に「汗かき地蔵」とか「弘法の爪書き地蔵」と称されて信者の講中も結ばれていました。元治二年(1865)に焼失したまま廃寺となりました。田名部の常念寺末とも日詰の来迎寺末ともいわれています。
17 広福寺(北日詰)
中世以来続いた天台宗の古刹でしたが、創立年代等は不明です。現在の牡丹野(昔はしゃくやく野といった)にありました。天正十九年(1591)十月には、南部信直から「日爪村」のうちに田一万二千四百刈(二百石)を寺として寄進されましたが、不来方(のちの盛岡)に首都が建設されるに及んで北山の関口に移転を命ぜられました。
19 石女山遍照寺(桜町)
志賀理和気神社参道の北側にありました。鎌倉時代からの存在が伝えられていますが、開山の年代やいきさつについては知られていません。はじめは天台か真言であったらしいが、鎌倉時代の末期に時宗に転じて稗貫郡北寺林に属したといわれています。代々赤石大明神(志賀理気神社)の別当寺をこなしてきましたが、元和七年(1621)に時の住職が死亡してから約九十年にわたって廃寺となり、享保八年(1723)にようやく再興されました。
−−−佐藤 正雄(故人)−−−

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