ふるさと物語 78 『黒岩川のこと』昔話と伝説(9)

「ふるさと物語」【78】〈昭和46年1月10日発行「広報しわ」(第186)〉

「広報しわ」に掲載された記事を原文のまま転載する形式により、紫波町の歴史や人物について読み物風に紹介しています。
(第1回昭和37年3月号から第201回昭和56年4月5日号まで掲載)
そのため、現在においては不適切とされる表現や歴史認識がある場合がありますのでご了承願います。

『黒岩川のこと』 昔話と伝説(9)

紫野出身の江戸力士黒岩川については前にも述べましたが、それ以外に次のような伝説も残されています。
黒岩川の怪力は、赤沢の白山権現に三七二十一日の願をかけて授かったものだといわれます。その満願の夜のことです。面前に一人の女人が現れ、「これを抱いてもらいたい」といって子どもを渡されました。彼はいわれるままにその子を抱いていましたが、いつまでたっても女は帰ってきません。そのうち少しまどろんできたと思ったら夜が明けてしまいました。そしてよくみたら、抱いていたのは子どもではなくて大きな川石だったのです。黒岩川は神のお授けにちがいないと思って持ち上げてみると軽々と頭上に上がりました。彼は神に感謝の拝礼をした後、その石を家に持ち帰りましたが、後に里人達はこれを庚申塔にしてまつりました。
盛岡藩主に召し抱えられて盛岡へ通うようになった黒岩川は、その途中乙部の如法寺へ立ち寄るのを常としました。住職も大の力持ちで黒岩川とは友人の間がらだったのです。住職がいると茶の間に上がり込んで長話をしましたが、もしいない時は火鉢の火箸を取り上げてゴリゴリと縄にない、灰にゴックリさして出て行くのでした。そして、門の前を通る時はそこに置いてあるだんご型の力石をかかえて手代森あたりまで運び途中に置いていきました。住職はこれをみつけて「黒岩川が通うたな」といいながらこれを元の位置へ持ち帰りました。また、茶の間に入ってくだんの火箸をみると、それを逆にしごいて元どうりにしておくという具合でした。
ある時、黒岩川は秋田三吉という鬼神と相撲をとって見事に投げとばしました。そこで今度は物食い競争と、籾の食いくらべをはじめました。黒岩川は五升の籾をたべてこの競争にも勝ち、負けた三吉はコソコソと姿を消しましたが、後でみたら彼が食ったはずの籾は戸のかげにそのままになっていました。黒岩川は、この籾食いの後胃腸を病んで死んだといわれます。
−−−佐藤 正雄(故人)−−−

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