ふるさと物語 83 『舘と屋敷』屋号や地名の話(2)

「ふるさと物語」【83】〈昭和46年6月10日発行「広報しわ」(第191)〉

「広報しわ」に掲載された記事を原文のまま転載する形式により、紫波町の歴史や人物について読み物風に紹介しています。
(第1回昭和37年3月号から第201回昭和56年4月5日号まで掲載)
そのため、現在においては不適切とされる表現や歴史認識がある場合がありますのでご了承願います。

『舘と屋敷』 屋号や地名の話(2)

何々舘とか単に舘とかまたは舘前などという地名や屋号は、中世の舘に由来していることはいうまでもありません。
ここで、舘主である舘持ち武士について若干の説明を加える必要があろうと思います。この舘持ち武士は、在郷武士の幹部クラスともいうべきものであり、領主から郷村を給与されて、土地と人民を支配していましたが、それと同時に、領主の命令に応じて軍役に服す義務をもっていたのです。しかして、その軍役義務には、給与された土地の生産力に応じて一定の水準がありました。斯波氏配下の地頭については、これを明らかにする資料は得られませんが、県南の葛西氏や県北の南部氏の例からみると、おおむね水田十町歩から十五町歩について騎馬武者一騎の割りではなかったかと推測されます。その騎馬武者には、さらに六人前後の雑兵がつくのが通例でした。従って、領主である地頭たちは、その知行高に応じてこれらの軍兵を常備しておく必要があったのです。
ところで、紫波町内には何々屋敷と称する地名や屋号のあることは先刻ご承知のとおりですが、これらは、地頭に従属した半士半農的な下級武士の居宅と関連があるように考えられます。その理由としていくつかあげられますが、その一つを紹介しますと、これらの屋敷地中には、防御施設として周囲に堀をめぐらしている場合があることです。矢巾町で北伝法寺の久保屋敷がその典型的な例です。
現在、紫波町内には屋敷のつく屋号が百件近くありますが、その内で最も多いのは古屋敷と中屋敷であり、高屋敷・荒屋敷・久保屋敷・上屋敷もこれに次いで多い方です。この外、二軒以上のものとしては清水屋敷・下屋敷・カジ屋敷・大工屋敷・稲屋敷・元屋敷・杉屋敷・柳屋敷・桐野屋敷・ネギ屋敷があり、一軒だけのものには北屋敷・南屋敷・前屋敷・御屋敷・泉屋敷・萩屋敷・松田屋敷・俵屋敷・鉄屋敷・鴨屋敷・坊屋敷・舘屋敷・関屋敷・徳屋敷・寺屋敷・尼屋敷・赤沢屋敷・根子屋敷・下根屋敷・沢屋敷・河原屋敷・鉈屋敷等があります。
−−−佐藤 正雄(故人)−−−

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