ふるさと物語 87 屋号や地名の話(6)

「ふるさと物語」【87】〈昭和46年10月10日発行「広報しわ」(第195)〉

「広報しわ」に掲載された記事を原文のまま転載する形式により、紫波町の歴史や人物について読み物風に紹介しています。
(第1回昭和37年3月号から第201回昭和56年4月5日号まで掲載)
そのため、現在においては不適切とされる表現や歴史認識がある場合がありますのでご了承願います。

屋号や地名の話(6)

新田・荒屋・田面木・曾利目などは、土地の開発や利用と関係のあるものです。同じ新田でも古い時代のものはニイダとかニッタとか呼ばれ、江戸時代以後のものはシンデンと呼びます。荒屋は開墾地に建てられた家屋のこと、荒屋敷も同様です。田面木はタモノキの生えている原野を焼いて切替畑(焼畑)をしたことによるもので、曾利目は切替畑が荒れて元の原野にもどった場合をいいます。
関口・関合・樋の口などは水利と関係のあるものです。関口はセキの取入口のこと。関合と樋の口は番水地帯の水利特権に由来するもので、関合は番水の交代時間に余水を利用できる権利、樋の口は樋口の分だけ水路を開放して常時利用できる権利のことです。それが、銚子の口ぐらい開放できる場合は銚子の口となります。
アイヌ語地名の代表として佐比内があります。いくつかの谷が集合しているという意味です。日詰はピッモイすなわち河原のある平地と考える人もあるがどうでしょうか。この外、栃内や彦部もアイヌ語かと思われますが、まだ断定はできません。
地名の中には、開拓時代の移民が出身地の名をつけたとみられるものもあります。片寄は福島県石城郡の古い郷名にみられるし、長岡は宮城県志田郡の、江柄は神奈川県鎌倉郡の、中島は茨城県鹿島郡と長野県水内郡の郷名にみられます。また、彦部の名は福島県菊田郡の郷名でもありました。
二日町・十日市・六日町(西長岡)・四日市(南日詰)などは、定期市に由来したことはいうまでもありませんし、五反田・八反田・四百刈・六百・千刈田などは、一団地の水田の面積とか収量(束数)を表示したものです。
この外、田中・畑中・野中・野上・山中・野崎・林崎・川崎・橋本・橋の下・西裏・東裏・北田・南田・西田・道の下・田尻・長沢尻等々のように占居状態からくるものや朴田・柳田・松田・柿田・蓬田・松本・竹原・杉の下・松原などのように付近に生えている植物によってつけられたものも少なくありません。おそらく、町内ではこの種のものが最も多いのでしょう。
−−−佐藤 正雄(故人)−−−

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