ふるさと物語 88 修験道物語(1)

「ふるさと物語」【88】〈昭和46年11月10日発行「広報しわ」(第196)〉

「広報しわ」に掲載された記事を原文のまま転載する形式により、紫波町の歴史や人物について読み物風に紹介しています。
(第1回昭和37年3月号から第201回昭和56年4月5日号まで掲載)
そのため、現在においては不適切とされる表現や歴史認識がある場合がありますのでご了承願います。

修験道物語(1)

修験道というのは、日本固有の山岳信仰と密教の呪験練行とが習合したものであり、一般にはその行者のことを山伏とよんでいます。その名が示すように、初めは山岳を行場として活躍しておりましたが、後になると村落に定住して呪術や加持祈祷を行うようになり、里人から畏敬される存在となりました。
1 院坊の創立
紫波地方に修験道の伝播してきたのはかなり以前のことであり、既に平安時代の末期にはその形跡がうかがわれますが、所伝の上で院坊の創立がはっきりしてくるのは室町時代の初頭になってからのことです。すなわち、南日詰の観明院、遠山の善養院、佐比内の喜明院などは、いずれもこのころの創立と伝えられています。その経緯については不明ですが、観明院は広泉寺(鳥の堂)の、善養院は青麻三光宮の、喜明院は熊野権現社のそれぞれの別当をつとめていることからみると、これらの寺社と関係して定着したことは疑いありません。
次いで、室町時代の後期から近世の初頭にかけて、各地に修験道院坊の創立がみられるようになりました。志和稲荷社別当成就院・古稲荷社別当慈重院・上平沢八幡社別当大和院・上平沢慈眼院・北日詰大日堂別当円学院・大巻黒石権現社別当大学院・長岡牛頭天王社別当大学院・長岡八幡社別当清光院・西長岡善明院・栃内万蔵院・赤沢白山権現社別当慈徳院などがそれです。つまり、最盛期には、現在の紫波町内だけで十四の院坊がかぞえられたわけですが、これは紫波郡内修験のほぼ九割を占める数であります。
院坊を創立する手順については必ずしも明確ではありませんが、志和稲荷別当成就院の場合についてみると、開祖源教智蔵(実際はそれ以前から修験道にはいっていた)は、初め大迫の安楽院で得度して式部坊と号し、その後京都の本山聖護院にのぼって成就院の院号を授けられたとされています。このことからみると、最初地元の有力修験について修行し、後に本山へのぼって院号を授与されるというのが順序であったように思われます。
−−−佐藤 正雄(故人)−−−

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