ふるさと物語 93 『5シシ踊り』郷土芸能由来記(3)/紫波町

ふるさと物語 93 『5シシ踊り』郷土芸能由来記(3)/紫波町

「ふるさと物語」【93】〈昭和47年4月10日発行「広報しわ」(第201)〉

「広報しわ」に掲載された記事を原文のまま転載する形式により、紫波町の歴史や人物について読み物風に紹介しています。
(第1回昭和37年3月号から第201回昭和56年4月5日号まで掲載)
そのため、現在においては不適切とされる表現や歴史認識がある場合がありますのでご了承願います。

『5 シシ踊り』郷土芸能由来記(3)

江戸時代に行なわれたシシ踊りとして知られるものには、二日町(上町)と紫野の二グループがあります。
二日町のシシ踊りは、徳田から伝えられたとされています。その由来は次のとおりです。今から二百六十年ほど前の正徳年中徳田村の仁左衛門の娘が紫野村の三右衛門家に嫁入りしました。それ以来両家の間では、農繁期になると、互いに多数の下男をつれて手伝いの交換がおこなわれるようになりました。そうしている間に、ある年(享保七年か)徳田村にシシ踊りの仲間が結成されました。三右衛門の下男たちは、しばしば手伝いに出向いている間に、そのけいこをみて自然とおぼえるようになりました。ここにおいて、下男たちは、三右衛門の助力を得て踊り仲間を組織するに至りましたが、後に、嫁を通じて徳田村の仁左衛門からシシ踊りの由来を記した巻物を借受け、これを写して所持したことから同家をもって庭元とするようになりました。ところが、どのような事情によるものか、明治年中になって、同村仁郷の与十郎に庭元が移るようになりました。その後、この踊り仲間は次第におとろえるようになり、ついには、所伝の巻物を障子張りにする始末となりました。しかし、これは、心ある人々によって旧に復されましたが、それと同時に、これらの人々は、巻物の消滅を防ぐためには同村下川口の直弥に依頼してそれを複写してもらいました。これがきっかけとなって、文政年中には、元のように三右衛門を庭元として再興をみるようになりました。こうして、弘化年代まで継続されてきましたが、嘉永のころから再びおとろえをみせるようになり、明治初年には断絶寸前の状態となりました。ここにおいて、同村の有志たちは、その復興をはかって苦心を重ねた結果、明治五年七月に至って、ようやく笠ぞろえをするに至りました。
−−−佐藤 正雄(故人)−−−

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