ふるさと物語 103 明治二年のおしかけ事件

「ふるさと物語」【103】〈昭和48年2月10日発行「広報しわ」(第211)〉

「広報しわ」に掲載された記事を原文のまま転載する形式により、紫波町の歴史や人物について読み物風に紹介しています。
(第1回昭和37年3月号から第201回昭和56年4月5日号まで掲載)
そのため、現在においては不適切とされる表現や歴史認識がある場合がありますのでご了承願います。

明治二年のおしかけ事件

明治二年の五・六月のころ、郡山や八幡寺林方面の農民多数が八戸藩の志和通におしかけて、めしや酒を強要したり、打ちこわしをするという事件がありました。
まず、五月二十八日の四時半ごろには、郡山近在の農民百五・六十人ほどが、貝を吹きながら上平沢の川原町におしかけて、この地の豪商である近江屋権兵衛(村井氏)からめしと酒をねだりました。そして、さらに、土舘村に至って、浦田の治右衛門から同様にめしと酒を無心し、帰りには惣左ヱ門の家に立ち寄って酒を強要しました。また、稲藤村の善三郎宅におしいって、建具や戸しょうじを初め家財までも打ちこわした上、着類をもちさるという乱暴ぶりでした。このため、八戸藩志和出張所(志和代官所の後身)では、管内の若者二百人ほどを動員して役所や御蔵の警備をさせると共に、当番の目明に対して夜廻りを厳重にするように命じました。
ついで、六月一日には、再び郡山近在の農民百三、四十が、四、五十人ずつ三つの集団に分かれて御境街道付近に集結し、表向きは新山権現社に参拝すると称しながらも、実は前回と同様に川原町へのおしかけを策している形勢にありました。そこで、この情報に接した前記の近江屋権兵衛と惣左ヱ門は、さっそく現地に酒を運んでふるまったところ、くだんの農民たちは、おしかけることなく解散するに至りました。
さらに、翌二日の七時半ごろには、代わって八幡寺林方面の農民三百人ほどが、貝をふきときの声をあげながら川原町におしかけてきました。そして、近江屋権兵衛宅にいたってめしと酒を強要しました。この時も、志和出張所では、若者を集めて警備に当たりましたが、農民たちは、それ以上の乱暴をすることなく、さんざんに悪口をいいながら朝方になって引きあげました。
この一連のおしかけ事件は、どのような事情を背景として発生したかはさだかではありませんが、当時は、あたかも、盛岡藩主の白石転封にともなって旧領内は無警察の状態におかれていた時であるから、この機を利しての暴挙であったことだけはまちがいないでしょう。
---佐藤 正雄(故人)---

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