ふるさと物語 115 神仏の分離/紫波町

「ふるさと物語」【115】〈昭和49年2月10日発行「広報しわ」(第223)〉

「広報しわ」に掲載された記事を原文のまま転載する形式により、紫波町の歴史や人物について読み物風に紹介しています。
(第1回昭和37年3月号から第201回昭和56年4月5日号まで掲載)
そのため、現在においては不適切とされる表現や歴史認識がある場合がありますのでご了承願います。

神仏の分離

明治維新の変革の一つとしてあげられるものに、神仏分離のことがあります。これは、神社神道を国教化するために、古来から習合されてきた神と仏を判然と分離して、神社内から仏教色を一掃しようというものであります。それでは、この政策によって、当地域の神社はどのように変わったのでしょうか。
まず、明治二年には別当僧の還俗(げんぞく)と仏語的神号の廃止が行なわれました。別当僧の還俗というのは、これまで寺僧や修験僧(山伏)が神社の別当を勤めてきたのを禁止して、もし、引き続き神社に奉仕する場合は、俗人にかえって神主になれ、というものです。これによって、当地域においては、彦部村愛宕権現の別当行岩寺、桜町赤石大明神の別当遍照寺、二日町走湯権現の別当高水寺、南日詰村薬師別当の大荘厳寺、土舘村新山権現の別当新山寺などの住職が、それぞれ寺を廃止して神主となりましたし、升沢村志和稲荷別当成就院、同村古稲荷別当当慈重院、上平沢村八幡別当大和院、同村天満宮別当慈眼院、南日詰村法量明神別当観明院、佐比内村熊野別当喜明院、遠山村青麻別当喜養院、長岡村牛頭天王別当大学院、赤沢村白山観現別当慈徳院などの修験僧も、還俗して神主となりました。
また、仏語的神号の廃止というのは、これまで権現とか牛頭天王のように仏語をもって神号(社号)を称していたのを廃止することでありますが、これによって、当地域では、走湯権現は走湯神社、愛宕権現は愛宕神社、熊野権現は熊野神社、白山権現は白山神社、新山権現は新山神社、牛頭天王は八坂神社、堤島弁財天は宗像神社(後に堤島神社)、薬師堂は薬師神社というように、それぞれ改称しています。
次いで、明治三年には、神社内から仏像や仏具類を撤去することが行なわれました。その状況を検査するために、六月には係管が管下を巡視していますが、この時赤沢村では、薬師堂が白山神社の境内とみなされて仏像の撤去を命ぜられていますし、二日町の走湯神社では、神体を見ると火を発するといって、本体の観音像を幡竜寺に移したといわれます。
---佐藤 正雄(故人)---

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