ふるさと物語 122 『政治にたずさわる人々-県会議員(3)-』近代人物脈(7)/紫波町

「ふるさと物語」【122】〈昭和49年9月10日発行「広報しわ」(第230)〉

「広報しわ」に掲載された記事を原文のまま転載する形式により、紫波町の歴史や人物について読み物風に紹介しています。
(第1回昭和37年3月号から第201回昭和56年4月5日号まで掲載)
そのため、現在においては不適切とされる表現や歴史認識がある場合がありますのでご了承願います。

『政治にたずさわる人々−県会議員(3)−』近代人物脈(7)

明治三十年には、岩手県でもようやく県制を施行することになりました。(府県制の公布は明治二十三年)これによって県は地方団体として法人化されるようになり、県会の権限も一段と強化されるようになったのです。そして、この制度は、その後数度にわたって改正を加えながら現在にいたっていますが、この間において当地域からは、次の人々が県会議員(県議会議員)に当選しています。山本喜兵衛(日詰・二期)、藤原理八(長岡・二期補欠一期)、細田文平(水分・二期)、福田善三郎(長岡・一期)、平井八十八(日詰・一期)、堀切礼八(佐比内・三期)藤沼朝人(赤石・補欠一期)、金子慶之助(日詰・一期)、細川久(志和・三期)、鷹木嘉右衛門(水分・補欠一期)、橋本善太(日詰・補欠一期)、高橋真一郎(佐比内・一期)、橋本八百二(日詰・三期)、福田嘉一郎(二期)、佐藤又四郎(現在二期目)。このうち、藤原理八と橋本八百二は議長に選出されていますし、細川久は副議長に当選しています。ただし、藤原理八は、当選の翌日には辞任していますからわずか二日間の在職ということになります。次に、その経緯について紹介することにしましょう。大正四年十月の臨時県会は、議長以下の役員選挙のために召集されました。そこで、同十五日には最年長の藤原理八が仮議長となって議長選挙を行いましたが、その結果、藤原理八と丹野弥七郎が同点となりました。そこで再度投票を行ったところ、またもや両人とも同点となったため、年長者である藤原理八を当選者に決定しました。ところが、翌十六日になって藤原理八は辞表を提出したのです。そこで、再び議長選挙を行ったところ、わずか一点の差で大矢馬太郎が当選しました。そこで疑問とされたのは、なぜ決戦投票までして当選したのに翌日になって辞任したのかということですが、これについては、大矢馬太郎を当選させるためにとられた同派の策動であり、予定の行動であったとみられます。いずれ、前例をみないことでした。
−−−佐藤 正雄(故人)−−−

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