ふるさと物語 123 『政治にたずさわる人々-国会議員-』近代人物脈(8)

「ふるさと物語」【123】〈昭和49年10月10日発行「広報しわ」(第231)〉

「広報しわ」に掲載された記事を原文のまま転載する形式により、紫波町の歴史や人物について読み物風に紹介しています。
(第1回昭和37年3月号から第201回昭和56年4月5日号まで掲載)
そのため、現在においては不適切とされる表現や歴史認識がある場合がありますのでご了承願います。

『政治にたずさわる人々−国会議員−』近代人物脈(8)

当地域出身の国会議員としては、江柄の福田善三郎と日詰の平井六右衛門のふたりがあります。福田善三郎は、江柄の手造家の人で、慶応元年十一月の生まれです。初め盛岡の山崎鯢山の門にはいりましたが、後には岩手師範学校から明治法律学校(明治大学の前身)へと進みました。その福田が本格的に政界へ乗り出したのは、県会議員に当選した時からであったとみられます。明治三十六年九月のことでした。そして、同四十五年五月には、衆望をになって衆議院議員に当選しました。同時に当選した人には、原敬・鈴木巖・棚瀬軍之佐等がいます。所属政党は憲政本党でした。非常にまじめな性格で酒をたしなまなかったことから、国会の召集で東京に滞在中は、同宿の東北出身議員から印鑑を託されて歳費の受領を任されていたといわれます。大隈重信を崇敬していましたが、その反面、政敵でありながら原敬に対しても敬意をよせていたようです。大正四年三月の総選挙には、日詰の平井六右衛門も立候補して両者競争となりましたが、結果は、平井は三四二三票、福田は二三八一票となり、次点で落選しました。そして、これをきっかけに政界を引退し、その後は農会や信用組合の方面で活躍されましたが、これについては別に述べることにします。大正十三年十月、六十歳でなくなりました。多年の功によって、勲四等に叔せられ、瑞宝章を授けられています。平井六右衛門は、日詰伊勢屋の十二代目で、慶応元年の生まれです。前期のように、大正四年には衆議院議員に当選しました。所属政党は政友会でした。そして同八年七月の貴族院補欠選挙には、県下の多額納税者十五名の互選によって貴族院議員に選出されています。ちなみに、同年の平井の直接国税納入額は三二八○円余で、郡内では徳田村の昆清蔵に次いで二位であり、県下では七番目でした。議員としての外、経済界や地方振興の面でも活躍されていますが、これについては別項で述べることにします。功によって勲四等瑞宝章を授与されました。任期中の大正十年十月、五十七歳でなくなられました。
−−−佐藤 正雄(故人)−−−

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