ふるさと物語 139『別録 よみがえる遺跡4-高水寺城跡(二日町)-』/紫波町

「ふるさと物語」【139】〈昭和51年2月10日発行「広報しわ」(第247)〉

「広報しわ」に掲載された記事を原文のまま転載する形式により、紫波町の歴史や人物について読み物風に紹介しています。
(第1回昭和37年3月号から第201回昭和56年4月5日号まで掲載)
そのため、現在においては不適切とされる表現や歴史認識がある場合がありますのでご了承願います。また、 掲載記事の無断転載を固く禁じます。

『別録 よみがえる遺跡4-高水寺城跡(二日町)-』

二日町の高水寺城跡(通称城山)は、中世のころ、斯波氏の居城であったところですが、ここの発掘調査は、今までのところ、三回にわたって行なわれました。
そのうち、第一次の調査では、北麓のリンゴ畑から、礎石を用いた一棟分の建物跡が発見されました。中世末期のものかと思われますが、その性格については、はっきりいたしません。また、この建物跡の下層には、二度にわたって建物を建てた跡のあることが確認されました。また、第二次の調査においては、俗に「姫御殿」と呼ばれている北側の三のくるわから、詰所か見張小屋の類と思われる二棟の建物跡が検出されています。これは、岩盤に柱穴を掘って建てたものであり、県内では珍しい例です。中世のものでしょう。姫御殿の名にふさわしいような建物跡は発見されませんでした。
次いで、第三次の調査は、昨年十月に行なわれましたが、その結果、三のくるわの南西に当たる場所から、建物跡と池の跡が発見されました。建物跡は、少くとも二回以上にわたって建て直しが行なわれたとみられるもので、そのうち、建築年代の異なる二棟分が確認されています。いずれも、掘立て柱の建物で、屋根はカヤぶきであったようです。また、池跡は、いわゆる心字池のプランに近いものであり、橋を渡した形跡もうかがわれます。おそらく、庭園の中心をなしたものでしょう。この池跡からは、多量の焼けカヤにまじって、五本のクリ材の柱脚を初め刀子(小刀)のさや、曲げ物の残欠、瓦質土器の破片、椀の残欠、炭、将棋のこま、ご石(木製)、炭化したアワ、青色の塗料をほどこした木片など数十点が出土しました。その状況からみると、前記の建物が火災にあったところから、その焼けあとを清掃してこの池に埋めたものと判断されます。いずれ、中世の城舘遺跡から池跡の発見された例は、本県では最初であり、学術的にも貴重な価値をもつものであります。おそらく、前記の建物と一体的に造られたものでしょうが、このことから、斯波氏の貴族的な生活の一面がうかがわれるような気がいたします。


---佐藤 正雄(故人)---

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