ふるさと物語 141『別録 よみがえる遺跡6-御在所・漆立遺跡(片寄)-』/紫波町

「ふるさと物語」【141】〈昭和51年4月10日発行「広報しわ」(第249)〉

「広報しわ」に掲載された記事を原文のまま転載する形式により、紫波町の歴史や人物について読み物風に紹介しています。
(第1回昭和37年3月号から第201回昭和56年4月5日号まで掲載)
そのため、現在においては不適切とされる表現や歴史認識がある場合がありますのでご了承願います。また、 掲載記事の無断転載を固く禁じます。

『別録 よみがえる遺跡6-御在所・漆立遺跡(片寄)-』

本町の土舘から片寄にかけての山手に、通称あべ道と呼ばれる古い道筋が残っていますが、この二つの遺跡はいずれもこの道の西側にあるもので、これまでは古墳であろうと推定されてきたものです。
古墳というのは、高く土盛りをした古代の墳墓のことで、多くは当時の有力者を葬ったものです。
紫波町内には、それらしいものが三十近く知られていますが、しかし、従来、これらについての学術的な発掘調査がなされていなかったため、確定できるものは一つもありませんでした。ところが、このたび、これらの遺跡が高速道路の用地となるところから発掘調査が行われることになったのですが、町内では初めての調査だけに、その結果に対する関心は大きいものがあったのです。ただし、葺石(ふきいし)と呼ばれる石組みがみられないところから、あるいはという疑問だけが残されていました。それでは、結果はどうだったでしょうか。
御在所遺跡には、大小合わせて三つの古墳に似た土盛りがありましたが、発掘してみると、木棺を埋めた跡が確認されたし、人骨も発見されていますので、確かに墳墓であったことはまちがいありません。ただ意外なことは、その中からキセルが出土したことであります。この地方にタバコがはいってきたのは、近世初頭になってからのことですから、これによって古墳の夢はみごとに打ち破られてしまったのです。おそらく、近世初頭か早くとも中世末期以前にはさかのぼらないものでしょう。それにしても、これだけの墓を造った有力者はいったい誰なのでしょうか。
一方、漆立遺跡は、通称を「ふんだて」と称している丘上にあるもので、方形の土盛りが七基確認されています。その形態からみてあるいは方墳と呼ばれる古墳ではないかとみられていたものですが、実際に発掘してみたところ、これも古墳でないことが判明いたしました。なぜならば、古墳時代にはみられないはずの火葬骨が多数出土してきたからです。それでは何かといいますと、その埋骨の状態からみて、江戸時代の共同墓地であろうという説が有力になされています。


---佐藤 正雄(故人)---

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