ふるさと物語 81 『峠の五右衛門』昔話と伝説(12)

「ふるさと物語」【81】〈昭和46年4月10日発行「広報しわ」(第189)〉

「広報しわ」に掲載された記事を原文のまま転載する形式により、紫波町の歴史や人物について読み物風に紹介しています。
(第1回昭和37年3月号から第201回昭和56年4月5日号まで掲載)
そのため、現在においては不適切とされる表現や歴史認識がある場合がありますのでご了承願います。

『峠の五右衛門』 昔話と伝説(12)

むかし、山屋の峠に五右衛門という人が住んでいました。彼は、もと九戸政実の家臣であったといわれます。
主人の政実は、天正十九年、南部信直の要請によって派遣された豊臣軍の攻撃を受けて没落しました。その時、五右衛門は、政実の遺子亀千代を伴ってひそかに山屋の峠に落ちのびたと伝えられています。
それから何年かたったある晩のこと、五右衛門は、急用ができて盛岡城下へ出ることになり、一人で夜道を急いでおりました。ところがなべ沢とうばこ清水のの中間あたりまでさしかかると、木のかげからこつぜんと女のばけものがあらわれ、あやしげな素振りをして近寄ってきました。
五右衛門は、これはきっと狐狸の仕業にちがいないと思い、やにわに腰の愛刀をひきはなって「えっ」と切りつけました。
そのとたん、「カチン」という音と同時にパッと火花が散ったと思うと、くだんのばけ物はたちまち姿を消してしまいました。五右衛門はさりげなくその場を立ち去りましたが、帰途に立ち寄ってみると、刀傷のある大石がその場に横たわっていました。
彼のばけ物は石の精であったのです。これを聞いた里人たちは、だれともなく、この石を五右衛門石と呼ぶようになりました。
のちになって、このことを伝え聞いた南部の殿様は、五右衛門に対して、その時用いた篠竹丸の銘刀を献上するようにといってきました。
五右衛門は重代の家宝であるからといって断りましたが、望みのものはなんでもとらすからということで再三にわたって所望されたため、やむなく献上することにしました。
殿様は非常に喜んで、さっそく「望みのものはなにか」とたずねました。
五右衛門は「峠から見える限りの山を頂きたい」と申し上げたところ、すぐにそれがかなえられて、一躍、大山持ちになったといわれています。
−−−佐藤 正雄(故人)−−−

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