ふるさと物語 98 明治前期の行政組織(2)

「ふるさと物語」【98】〈昭和47年9月10日発行「広報しわ」(第206)〉

「広報しわ」に掲載された記事を原文のまま転載する形式により、紫波町の歴史や人物について読み物風に紹介しています。
(第1回昭和37年3月号から第201回昭和56年4月5日号まで掲載)
そのため、現在においては不適切とされる表現や歴史認識がある場合がありますのでご了承願います。

明治前期の行政組織(2)

明治十二年一月には、大小区制が廃止されて新たに郡長制が実施され、日詰新田に紫波郡役所が設置されました。それと同時に、従前の扱所も廃止となり、代わって行政区ごとに村役所(翌年から戸長役場と改称)が設置され、ここに民選の戸長と数人の書役(書記)が置かれるようになりました。その単位行政区は、一ヶ村ををもってする場合と二ヶ村をもってする場合の二様がありました。当地域では、片寄・佐比内・彦部・山屋の四ヶ村は一村一区であったが、その他は(日詰新田・平沢・桜町)、(南日詰・北日詰・犬渕)、(高水寺・中島・陣ヶ岡・二日町新田)、(小屋敷・上松本・吉水・南伝法寺)、(宮手・升沢・下松本)、(上平沢・土舘・稲藤)、(大巻・星山)、(草刈・犬吠森)、(東長岡・西長岡)、(江柄・北沢・栃内)、(遠山・北田)、(赤沢・紫野・船久保)のように組合村の形態でした。なお、同年六月には、町村会規則も施行されて、次第に自治体としての内容を整えるようになりました。
明治十七年には、行政区の大幅統合が行なわれました。そして、従来の民選戸長を廃して官選の戸長を任命し、戸長役場を何々村外何ヵ村戸長役場と呼ぶようになりました。これによって、当地域は日詰新田外九ヵ村(桜町・平沢・二日町新田・高水寺・中島・陣ヶ岡・南日詰・北日詰・犬渕)、上平沢村外六ヶ村(土舘・稲藤・片寄・宮手・升沢・下松本)、北伝法寺外九ヵ村(小屋敷・南伝法寺・上松本・吉水・岩清水・和味・室岡・白沢・太田)、乙部村外六ヵ村(手代森・黒川・大ヶ生・山屋・江柄・北沢)。
星山村外六ヵ村(大巻・東長岡・西長岡・犬吠森・草刈・彦部)、赤沢村外五ヵ村(船久保・紫野・遠山・北田・佐比内)などの行政区が構成されました。
次いで、明治二十二年四月には町村制が施行されましたが、これに伴って従来の村は廃止され、現在の紫波町地域は、新たに日詰町・古舘村・赤石村・志和村・水分村・佐比内村・彦部村・長岡村・赤沢村の一町八ヵ村に区分されました。
−−−佐藤 正雄(故人)−−−

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