ふるさと物語 105 明治十二年の村会議員選挙

「ふるさと物語」【105】〈昭和48年4月10日発行「広報しわ」(第213)〉

「広報しわ」に掲載された記事を原文のまま転載する形式により、紫波町の歴史や人物について読み物風に紹介しています。
(第1回昭和37年3月号から第201回昭和56年4月5日号まで掲載)
そのため、現在においては不適切とされる表現や歴史認識がある場合がありますのでご了承願います。

明治十二年の村会議員選挙

わが国に町村会が開設されるようになったのは、明治十二年のことでした。
その議員は選挙によって選ばれましたが、選挙をする資格については、その町村に本籍を有する満二十歳以上の男子でしかも町内において地租と地方税を合わせて一円以上納める者に限るとし、選挙される資格については、その町村に本籍を有する満二十五歳以上の男子でしかもその町村に満三年以上居住して地租と地方税を合わせて一円五十銭以上納める者に限るとされました。当時、税金を納める者といえば、ほとんど戸主に限られていましたから、結局、一戸一人ということになりましょうし、田畑の少ない家ではそれさえもなかったわけです。
議員の定数は、村の人口によって三段階に区分され、千人未満は十五人、千人以上三千人未満は二十人、三千人以上は三十人とされました。これによって紫波町地域各村の定数をみると、日詰新田・片寄・土舘・上平沢・佐比内の五ヵ村は二十人となる外は、いずれも十五人となります。したがって、陣ヶ岡村(九戸)や北沢村(十戸)のように、資格者全員が議員になっても定数に満たないという村も生じたわけです。
村会は、村が単独で開設することもできたし、連合して開設することもできました。紫波町地域では、片寄・山屋・彦部・佐比内の四ヵ村が単独で開設した外は、戸長役場単位の連合村会でした。次にその選挙のようすを赤沢・船久保・紫野三ヵ村の場合についてみてみましょう。
この連合村会の選挙は、同年八月に実施されましたが、その投票は村ごとに十五名の連記制をもって行なわれています。その用紙が現存していますが、これみると、同一人が、何人分も代筆したあとがはっきりしており、中には一人で十数枚も書いているものもあります。文盲者の多い当時としては、これもやむを得ぬことであったのでしょう。そして、この代筆によって生じる不正を防止するために、投票用紙には選挙人の氏名を記入させ、しかも開票は選挙人の立会いのもとで行なうという方法がとられています。
−−−佐藤 正雄(故人)−−−

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