ふるさと物語 110 明治33年滝名川水論記(1)

「ふるさと物語」【110】〈昭和48年9月10日発行「広報しわ」(第218)〉

「広報しわ」に掲載された記事を原文のまま転載する形式により、紫波町の歴史や人物について読み物風に紹介しています。
(第1回昭和37年3月号から第201回昭和56年4月5日号まで掲載)
そのため、現在においては不適切とされる表現や歴史認識がある場合がありますのでご了承願います。

明治33年滝名川水論記(1)

昔から「志和の水げんか」で有名な滝名川の水論は、旧五月二十四日の夕刻、本流側の農民が志和稲荷社前の分水点をとうぐわで深く掘り下げたことに端を発しました。これを知った支流の高水寺堰側では、直ちに稲荷前に急行してこれを攻撃しましたが、失敗に終わったため、その夜は両者の対陣となりました。その配陣をみますと、高水寺堰側では先陣を古稲荷山に置いてこれに百人余りを配し、古稲荷神社境内には本陣を設けて二百人ほどがたむろしました。これに対して本流側は、これも二手に分かれ、一隊は白旗山麓に、一隊は栃袋付近に集結してその総勢は二百七、八十人ほどでした。これより両陣営とも、かがり火をたき、ほらの貝を吹きならし、ときの声をあげるなどして、さかんに気勢をあげながら夜をあげながら夜を徹しました。
やがて二十五日の夜が明けそめるころになると、まず本流側が高水寺堰側の本陣をめざして襲いかかったところから、両者の激突となりました。これを撃退した高水寺堰側では、総勢を稲荷前に集結して一気に分水点をせきとめる作戦にでたところ、本流側でもこれを察知して対岸に布陣したため、ここに河原をはさんで激しい石合戦の展開となり、双方に多くの負傷者が続出しました。
この報に接した日詰警察署では、盛岡・花巻両警察署の応援をもとめ、署長みずから四十八名の警官を引き具し、郡長を同道して午後一時過ぎに現場へ到着しました。このころ、稲荷前の両岸には、朝以来応援にかけつけた人々をあわせ双方とも千人を越える群集がいましたが、警官のものものしい姿をみるとクモの子を散らしたように退散してしまいました。
これより日詰警察署長は、部下を配置して分水点付近の警備に当てるとともに、郡長と協議の上、関係町村の代表を稲荷別当宅に招集して調停にのりだしました。しかし、両者の意見が対立して不調に終わったため、再考をうながしていったん引き揚げました。
−−−佐藤 正雄(故人)−−−

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