ふるさと物語 110 明治33年滝名川水論記(1)-2

「ふるさと物語」【110】〈昭和48年10月10日発行「広報しわ」(第219)〉

「広報しわ」に掲載された記事を原文のまま転載する形式により、紫波町の歴史や人物について読み物風に紹介しています。
(第1回昭和37年3月号から第201回昭和56年4月5日号まで掲載)
そのため、現在においては不適切とされる表現や歴史認識がある場合がありますのでご了承願います。

明治33年滝名川水論記(1)

日詰警察署長が帰った後、高水寺堰側の顔役数名は、かねて知り合いの日詰署員に対して、前日、本流側が掘り下げた分水点を元に復させるよう強く要請しました。これに応じた日詰署員数名は、川を渡って本流におもむき、掘り下げた個所の復元を命じたところ、本流側ではこれに反抗して不穏な形勢を示しました。これを察知した他の警官たちは、直ちに抜刀して本流方に突入したため、両者の間になぐるけるの大乱闘が演ぜられました。対岸でこれをみていた高水寺堰側は、好機とばかりに河原にとびおり、本流の取入口を土俵でせきとめてさっさと引き揚げてしまいました。この乱闘で、双方にかなりの負傷者をだしたほか本流方からは公務執行妨害罪として数名の者が検挙されました。
この夜も、両水系の農民たちは、古稲荷山と白旗山に集結して対陣したまま夜を徹しました。
明けて二十六日の朝、二百余名の精鋭を三手に分けた本流方では、まず、第一陣を分水点に突入させて攻撃の矢をはなしました。この時、分水点の河原には二十数名の警官が警備に当たっていましたが、一団の襲撃に立ちなおる暇もなく、われさきにと川を渡って逃走してしまいました。この機を利した本流方では、間髪をいれずに土俵をもった第二陣を突入させ、たちまち高水寺堰をせきとめてしまいました。そして、第三陣を相手方の反撃に備えて河原に配置し、万全の防衛態勢を固めました。一方、不意をつかれた高水寺堰方では、緊急に首脳会議を開いて協議した結果、警察側と共同作戦で反撃を強行することになりました。そして、午前八時過ぎ、いっさいの手配を整えた高水寺方は、抜刀した警官隊を先頭にして、しゃにむに強襲をしかけました。河原では、たちまち双方入り乱れての乱闘が展開されました。負傷者が続出しました。このようにして、しばらくの間激闘が続きましたが、しかし、結局は官憲の威圧に屈して本流方は後退してしまいました。
その直後、日詰署長が到着し、再び調停にのりだした結果、それが成立して、さしも激烈をきわめたこの本論も、同日正午には全く終結をみるにいたりました。
---佐藤 正雄(故人)---

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