ふるさと物語 113 文明開化の足跡(2)

「ふるさと物語」【113】〈昭和48年12月10日発行「広報しわ」(第221)〉

「広報しわ」に掲載された記事を原文のまま転載する形式により、紫波町の歴史や人物について読み物風に紹介しています。
(第1回昭和37年3月号から第201回昭和56年4月5日号まで掲載)
そのため、現在においては不適切とされる表現や歴史認識がある場合がありますのでご了承願います。

文明開化の足跡(2)

交通機関(続き)前号で述べたように、郷土の人々によって客馬車の営業が開始されたのは、明治三十八年のことでしたが、実はこれよりさきの明治十六年六月二十六日には、盛岡肴町の驥運社によって盛岡と一ノ関間に客馬車が開通をみていました。したがって、当地域に客馬車の運行が始まったのはこのときからということになりましょう。ちなみに、盛岡-一ノ関間の所要時間は十二時間であり、料金は一円二十銭でした。
また、明治時代に導入された乗り物として特筆すべきものに自転車があります。それが当地域にはいってきた年代はさだかではありませんが、盛岡の場合は、明治二十一年ごろ、キリスト教宣教師のミルロ(アメリカ人)が使用したのが最初だとされていますし、明治四十五年の調査によると、県下の保有台数は五百四十八台と記録されていますから、明治の末期にはすでに導入をみていたものと思われます。
郵便 飛脚屋による旧来の郵便物逓送も明治五年七月一日の郵便法施行にともなって近代化の方向をたどるようになりました。その施設として設置されたのが「郵便御用取扱所」(後の郵便局)ですが、当地域においては、紫波郡唯一のそれとして、日詰新田二十九番戸の地に「郡山郵便取扱所」が開設され、関直治が郵便取扱人(後の郵便局長)に発令されました。現在の紫波郵便局はその後身であります。当初の集配区域はさだかでありませんが、紫波郡のうちおおむね後の見前・飯岡・乙部の三ヵ村を除いた地域であったもののようです。最初は普通郵便の取扱いに限られていましたが後には貯金(明18)・内国為替(明19)・小包郵便(明26)・電信と外国為替(明33)・郵便振替(明39)・内容証明郵便(明43)等も取扱うようになりました。
一方、明治三十五年には、上平沢に「郵便保護受取所」が開設されて貯金と為替の業務が開始されましたが、同年三十八年四月一日に至って郵便局に昇格され、「志和郵便局」と改称されました。
---佐藤 正雄(故人)---

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