ふるさと物語 114 文明開化の足跡(3)

「ふるさと物語」【114】〈昭和49年1月10日発行「広報しわ」(第222)〉

「広報しわ」に掲載された記事を原文のまま転載する形式により、紫波町の歴史や人物について読み物風に紹介しています。
(第1回昭和37年3月号から第201回昭和56年4月5日号まで掲載)
そのため、現在においては不適切とされる表現や歴史認識がある場合がありますのでご了承願います。

文明開化の足跡(3)

警察 明治九年二月、岩手県では行政警察規則の公布にともなって管内に十六の警察出張所を置くことになり、紫波郡では日詰新田にそれが設置されました。初め郡山警察出張所と称しましたが、その後第一出張所第二屯所(後に第四屯所)と改められ、さらに盛岡警察署郡山分署と改称されました。また、明治三十年三月には分署から昇格して郡山警察署と改められましたが、同十五年十月にいたって日詰警察署と改称されました。
一方、明治二十一年以降になると、各地に駐在所の設置がみられるようになりました。すなわち、明治二十一年には上平沢と佐比内、同二十三年には長岡と赤沢、同二十七年には赤石、同三十九年には彦部、同四十四年には水分というようにです。
また、警察署の定員についてみますと、当初四名の配置であったものが、明治十年には六名、同十七年には八名、同二十年には十一名、同二十三年には十六名、同二十七年には十九名、同四十二年には二十三名というように増加して、人員の面でも次第に充実をみるようになりました。
消防 岩手県が消防規則を制定して消防組の編成基準等を定めたのは、明治十年七月のことでした。これによって、当地域においてもおいおい各地に消防組の編成がみられるようになりましたが、これを明治時代についてみますと、明治十八年には、桜町村の私設消防桜組(三十二年公設認可)、同二十七年には志和村公設消防組、同三十五年には古館村私設消防組(四十三年公設認可)、同四十二年には彦部村公設消防組、同四十四年には佐比内村公設消防組がそれぞれ発足しています。
最初は竜土水や手おけで水をかけるとともに、風下の家をとび口・かけや・のこぎりなどで破壊して類焼を防ぐという方法がとられましたが、明治も末年ごろになると、洋式のポンプも導入されるようになりました。
明治二十七年の組員数をみると、日詰組は三十五人、志和組は五十五人となっています。
---佐藤 正雄(故人)---

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