ふるさと物語 120 『政治にたずさわる人々-県会議員(1)-』近代人物脈(5)

「ふるさと物語」【120】〈昭和49年7月10日発行「広報しわ」(第228)〉

「広報しわ」に掲載された記事を原文のまま転載する形式により、紫波町の歴史や人物について読み物風に紹介しています。
(第1回昭和37年3月号から第201回昭和56年4月5日号まで掲載)
そのため、現在においては不適切とされる表現や歴史認識がある場合がありますのでご了承願います。

『政治にたずさわる人々−県会議員(1)−』近代人物脈(5)

本県に初めて県会(当初は総会議という)の開設されたのは、明治八年のことでした。これは、県庁の属官中から選出した議員と各扱所から選出された議員をもって構成されましたが、後者の場合は原則として官選の戸長が当たることになっていましたので、民間からは選出された議員はまだ現れていません。
しかるに、翌九年七月の臨時議会においては、これに加えて各扱所ごとに一名の人民代表者が選出されることになりました。これによって、当地域からは、犬渕村の中村栄儒(よしなり)、宮手村の立花金三郎、紫野村の遠山円忠の三人がそれぞれ本員(戸長は助員)として選出されました。
中村栄儒は、盛岡出身の士族で、前年には岩手郡の西根村で副戸長を勤めていましたが、どのような事情によるものか、弟の新城信一とともに犬渕村に移ってきた人です。その後も五度にわたって県会議員に選出されましたが、その間、明治十三年には議長に、同十四年と十五年には副議長に選ばれています。
遠山円忠は、赤沢白石神社の社司や赤沢小学校の教員として、その道でも活躍した人です。後に奏任官待遇をもって遇せられました。
ところで、明治八年から同十一年までの県会議員は、議会が開催されるつど選出されるという方法がとられました。つまり、一定の任期がなかったわけです。
これによって、当地域からは、前記の外に、明治十年の九月議会には日詰新田の木村佐五郎、宮手村の立花金四郎、遠山村の本間惣吉、同十一年の五月議会には犬渕村の中村栄儒、片寄村の熊谷長三郎、西長岡村の吉田古准、佐比内村の石杜周蔵、同年の十月議会には日詰新田の菊池延人、西長岡村の吉田古准が選出されました。
なお、十一年の十月議会には、前記正員の外に員数外議員として日詰新田の中村小十郎、上平沢村の鷹觜平蔵、土舘村の阿部市五郎、彦部村の川村伊助、遠山村の中村多蔵、江柄村の福田要作が選出されています。このうちから異色の人をひろうと、吉田古准をあげることができます。彼は祖父以来の家業であった医者を業とするとともに、長岡小学校の教師を勤めるなど、多方面にわたって活躍しています。
−−−佐藤 正雄(故人)−−−

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