ふるさと物語 121 『政治にたずさわる人々-県会議員(2)-』近代人物脈(6)

「ふるさと物語」【121】〈昭和49年8月10日発行「広報しわ」(第229)〉

「広報しわ」に掲載された記事を原文のまま転載する形式により、紫波町の歴史や人物について読み物風に紹介しています。
(第1回昭和37年3月号から第201回昭和56年4月5日号まで掲載)
そのため、現在においては不適切とされる表現や歴史認識がある場合がありますのでご了承願います。

『政治にたずさわる人々−県会議員(2)−』近代人物脈(6)

明治十一年七月には、太政官布告をもって「府県会規則」が公布されました。こによって、岩手県においても、明治八年以来開会されて来た総会議は解体され、同十二年から改めて県会が開設されることになりました。
この規則によると、議員の選挙権は満二十歳以上の男子で地租五円(米一石相当)以上を納める者に限るとされていますし、被選挙権については満二十五歳以上の男子で地租十円以上を納める者に限るとされています。また、議員の任期は四年とし、二年ごとに半数を改選する定めでした。なお、紫波郡選出の議員定数は四名でした。
この規則は、明治三十年の府県制施行まで存続することになりますが、その間において、当地域から選出された県会議員の面々は次のとおりです。
渡辺恒吉(栃内・三期)、中村栄儒(犬渕・三期補欠一期)、木村益三(日詰・四期補欠一期)、岩動正雄(北日詰・二期)、清見与三郎(日詰・二期)、坂本万蔵(升沢・補欠一期)、鷹嘴平蔵(上平沢・一期)、北条槌助(土舘・補欠一期)、藤原理八(東長岡・一期)、山本喜兵衛(日詰・一期)
これらのうちでも、中村栄儒と木村益三(元良碩)は議会における論客として有名でした。中村栄儒についてはすでに述べたところですが、論客だけに政敵もあったようです。明治二十三年には、病気といつわって議会を欠席したことが同僚議員から摘発されて退職処分になっています。木村益三の議会活動の一端にふれると、明治二十年の議会においては、「巡査を県内から採用しないで福岡県の小倉から採用したために多額の赴任旅費を出費したこと、岩手病院花巻出張所の設置によって県費を濫用したこと」の二点を指摘して、県知事を激しくせめたてています。
なお、すでに述べたように、岩動正雄・清見与三郎・坂本万蔵・北条槌助(改めて源内)・藤原理八はともに郡会議員としても活躍していますし、清見与三郎と山本喜兵衛は日詰町長の職にもありました。
−−−佐藤 正雄(故人)−−−

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