ふるさと物語 130 『産業を振興する人々-北条韶美-』近代人物脈(15)

「ふるさと物語」【130】〈昭和50年5月10日発行「広報しわ」(第238)〉

「広報しわ」に掲載された記事を原文のまま転載する形式により、紫波町の歴史や人物について読み物風に紹介しています。
(第1回昭和37年3月号から第201回昭和56年4月5日号まで掲載)
そのため、現在においては不適切とされる表現や歴史認識がある場合がありますのでご了承願います。

『産業を振興する人々−北条韶美−』近代人物脈(15)

北条韶美(初め喜一郎)は、さきに述べた藤尾寛雄と細川久の遺志を受け継いで山王海ダムの実現に努力された方であります。
その彼は、明治二十六年二月、土舘の金田家の人として生まれました。初め教員を志して岩手師範学校を卒業し、日詰小学校(主席訓導)及び上平沢小学校(校長)に奉職しましたが、昭和十三年九月には、細川久のあとを受けて志和村の七代目村長に就任することになりました。
この村長就任は、同時に国営溜池事業に対する悲願の引き継ぎをも意味するものでした。しかし、当時は、日支事変の拡大に伴って国の予算はぼう大な軍事費に追われるという状態でしたから、その中で溜池工事の予算を獲得することは、ほとんど不可能に近い状況でありました。したがって、しばらくの間、事態のなりゆきを見守る外に方法がありませんでした。
ところが、昭和十五年には、最近稀にみる大日照りに襲われて、あわや流血の惨をみるのではないかと思われるほどの情勢に追いこまれました。これが北条の決意をうながす転機となりました。<もはや一刻のちゅうちょも許されない>自分の置かれている立場をはっきり意識した彼は、不動の決意をもって立ちあがったのです。この熱意が村民の心を動かさないはずがありません。その年の秋には高橋留蔵外二百三十九名の人々から、志和村経済更生委員会に対して、溜池の築造を促進してもらいたい旨の請願がなされるまでにいたったのです。
この結果、翌十六年三月には、志和村用水改良期成同盟会が結成されて、いよいよ本格的な運動に乗り出すことになりました。ところが、このやさきに、農地開発法という願ってもない法律が制定されたのです。それは、日支事変の拡大に伴って食糧増産が至上命令となってきたところから、国営をもって大規模の開こんと潅排水事業を実施しようというものでありました。これに力を得た同盟会では、南野原の開こんを前提としてその水源確保のために山王海溜池を構築するという構想を打ち立て、これをもって政府に陳情することになりました。(続く)
−−−佐藤 正雄(故人)−−−

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