ふるさと物語 131 『産業を振興する人々-北条韶美-(続き)』近代人物脈(16)

「ふるさと物語」【131】〈昭和50年6月10日発行「広報しわ」(第239)〉

「広報しわ」に掲載された記事を原文のまま転載する形式により、紫波町の歴史や人物について読み物風に紹介しています。
(第1回昭和37年3月号から第201回昭和56年4月5日号まで掲載)
そのため、現在においては不適切とされる表現や歴史認識がある場合がありますのでご了承願います。

『産業を振興する人々-北条韶美-(続き)』近代人物脈(16)

前号で述べた構想に基づいて、第一回の陳述がなされたのは、昭和十六年四月のことでした。その結果、六月には、農林省等の技師が来村して、現地の実地調査を実施する運びとなったのです。
これによって、かすかながらも国営化の可能性がうかんできましたが、この運動を一層強力に推進するためには、どうしてもその母体となるべき団体を設立する必要がありました。ところが、ここで問題になったのは、事業の実施区域をどうするかということでした。志和村だけでは、規模が小さ過ぎて国営の対象にならないことは明白であったからです。そこで、水分・赤石の両村にはたらきかけて耕地整理組合(開墾事業は耕地整理組合でやるのが原則)の設立をはかりましたが、いろいろの利益がからんでいるところから、設立の要件である受益者の三分の二以上の同意を得るみとうしがたちませんでした。そこで、変則的ではあるが、とりあえず、これらの三か村を区域とする普通水利組合を設立することになったのです。
その設立申請を受けた県では、関係村長に対して、設立を必要とするかどうかの諮問をしてきました。これに対して、地元の志和村には異論がありませんでしたが、赤石村の場合は、長尾沢と廿木地区は除外することという条件が付せられたし、水分村の場合は、高水寺堰と沢内川の水がかり地域は、従来、日照りの年でも田植えをしてきたから、いまさら経費をかけて設立する必要を認めない旨の答申がなされました。ところが、これに対して県では、答申書を差しもどした上、全地域について設立を認めるようにと強要してきたのです。当時は、翼賛政治に名をかりて、官僚が横暴をきわめていた時でしたから、結局は、不本意ながらもこれに従わざるを得ませんでした。
こうして、昭和十八年三月には、組合の設立が認可されるにいたりましたが、しかし、その前途は予断を許さないものがありました。国営開墾の必要性は認めながらも、増大する軍事費のために予算は削減される一方であったし、それに工事資材も極度に不足を告げてきたからであります。(続く)
−−−佐藤 正雄(故人)−−−

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