ふるさと物語 132 『産業を振興する人々-北条韶美-(続き)』近代人物脈(17)

「ふるさと物語」【132】〈昭和50年7月10日発行「広報しわ」(第240)〉

「広報しわ」に掲載された記事を原文のまま転載する形式により、紫波町の歴史や人物について読み物風に紹介しています。
(第1回昭和37年3月号から第201回昭和56年4月5日号まで掲載)
そのため、現在においては不適切とされる表現や歴史認識がある場合がありますのでご了承願います。

『産業を振興する人々−北条韶美−(続き)』近代人物脈(17)

前号で述べたような情勢から、山王海溜池の国営事業を実現するためには、一段と政治工作を強化する必要に迫られました。そこで、北条が着目したのは、海軍中将の八角三郎代議士でした。これまで、政府に対する工作には、もっぱら田子一民代議士の力をかりてきましたが、軍部の国政に対する発言力が急速に高まってきたところから、新たに軍部出身の八角代議士と結んで、政府には田子、軍部には八角の二面作戦で臨むことを考えたからであります。
この着想は、北条のおもわくどおりに運んで、両代議士の協力も積極的なものがありました。そして、幾度かにわたる陳情と請願が行なわれましたが、その結果、昭和十九年には、もはや国営事業は確定的なものとなり、県の参事会においても、県費による二割助成が議決されるところまでこぎつけました。
やがて、待望の日がやってきました。昭和二十年十月には、上平沢に農地開発営団の山王海出張所が開設されて、長い間曲折をきわめたこの大事業も、いよいよ農地開発営団の手によって実施される運びとなったのです。また、それと同時に、この事業の中心をなす山王海ダムの構築は、株式会社鹿島組(後に鹿島建設株式会社と改称)によって工事が請負われることになり、やがてその出張所も設置されるようになりました。
諸般の準備が終わって実際に工事に着手したのは、同年十一月二十三日のことでした。この日、田子・八角両代議士を初め中央、地方の関係者多数を招いて、盛大な起工式が行なわれたのです。
先輩の悲願を成就した北条の喜びは、ひとしおなものがありました。それなのに、彼は、間もなく進駐軍指令によって公職を去らなければならなくなり、さらに続いて病魔におかされる悲運となりました。その病体をおして最後の会議に出席した彼は、会議途中で花巻病院に運ばれたまま、再び立つことができませんでした。そして、建設工事さなかの昭和二十二年二月十六日、五十四歳をもって静かに生涯をとじました。志和村では村装の礼をもってその死をいたみました。墓は隠里守にあります。
−−−佐藤 正雄(故人)−−−

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