ふるさと物語 135 『産業を振興する人々-橋本善太-(続き)』近代人物脈(20)

「ふるさと物語」【135】〈昭和50年10月10日発行「広報しわ」(第243)〉

「広報しわ」に掲載された記事を原文のまま転載する形式により、紫波町の歴史や人物について読み物風に紹介しています。
(第1回昭和37年3月号から第201回昭和56年4月5日号まで掲載)
そのため、現在においては不適切とされる表現や歴史認識がある場合がありますのでご了承願います。

『産業を振興する人々-橋本善太-(続き)』近代人物脈(20)

善太は、家業の蚕種製造に従事するかたわら、ニワトリの多産についても研究を始めました。
彼がニワトリに興味をもつようになったそもそもは、十二、三歳のころ、シャモを三代にわたって近親繁殖をしてみたところ、本来闘争を好むはずのシャモがけんかをしなくなったので、これに対して疑問をいだくようになったのが始まりだとされています。また、農学校時代には、舎監にかくれて寄宿舎の炭小屋にニワトリを飼うというほどの熱心さであり それがみつかってしかられたところから、「トリッコ」のあだ名で呼ばれるようになったという逸話も残されています。
昭和年代にはいると、彼のニワトリに対する研究は一段とめざましさを増していきましたが、これを大きく刺激したのは、昭和三年の岩手県種鶏場(岩手郡好摩)の設立でした。これが設置されると、彼は、さっそく自分の改良したニワトリを委託して産卵検定を依頼しましたが、早くも同四年から五年の検定においては、彼の委託鶏のうちから三百卵以上のものが四羽も出現するというありさまでした。そして、年々記録を更新しながら、ついに、昭和十四年には、中央家畜研究所に委託していた単冠白色レグホン四‐四二号が年間三百六十五卵の世界新記録を樹立するにいたったのです。また、昭和二十七年の日本種鶏場の産卵検定においては、彼の委託したブリマスロックが年間三百六十六卵(この年はうるう年)を記録して、卵肉兼用種の分野でも輝かしい金字塔をうち立てました。
彼は、ニワトリの品種改良にも雑種強勢の理論を活用しました。また、横班ブリマスロックの横班は伴性遺伝によるものとの仮説を立てて試行を重ねた結果、横班ブリマスロックのめすとロードアイランドレットのおすの間に生じた一代雑種によって、みごとにそれを立証することに成功しました。この一代雑種は、「ゼンタック」と命名されましたが、初生びなの雌雄鑑別が容易で産卵率も高く、粗食に耐えて肉質もよいところから、広く世に知られました。そして、岩手日報文化賞、産業功労者として、第一回黄綬褒賞を受けられました。
昭和三十一年七月没。従六位勲六等に叙せられました。
---佐藤 正雄(故人)---

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