ふるさと物語 136 『別録 よみがえる遺跡1』

「ふるさと物語」【136】〈昭和50年11月10日発行「広報しわ」(第244)〉

「広報しわ」に掲載された記事を原文のまま転載する形式により、紫波町の歴史や人物について読み物風に紹介しています。
(第1回昭和37年3月号から第201回昭和56年4月5日号まで掲載)
そのため、現在においては不適切とされる表現や歴史認識がある場合がありますのでご了承願います。

『別録 よみがえる遺跡1』

創立二十周年を迎えた紫波町にとって、本年は遺跡発掘調査ブームの年でもありました。その数は、これから予定されているものも含めて六か所に及んでいます。ついては、その結果を知らせてほしいという要望も寄せられていますので、これにこたえるため、現在つづけている「人物脈」を一時中断の上、当分の間、別録としてその概要について解説させていただくことにいたします。
1.西田遺跡(犬渕)
この遺跡は、犬渕の岩手山神社に続く比高約一〇Mの台地にあるもので、新幹線の用地となるところから、県教育委員会の文化課が担当して発掘調査されたものであります。調査は、来年にもちこされて現在中断されていますが、次に、いままでにわかった結果についてお知らせしましょう。
この遺跡の特色は、縄文早期と呼ばれる時代から平安時代中期までの遺構がたくさん存在していることであります。つまり、この台地は、数千年にもおよぶ久しい間、人々の住居地として、なん回かにわたって利用されていたということであり、それだけに、大昔の人々にとっては、住みやすい場所だったということを意味するものであります。
縄文早期の住居跡とみられるタテアナからは、この地方では産しない黒曜石の石器の出ているのが注目されます。多分、何かと交換して遠くから運ばれてきたものでしょう。また、尖低土器と呼ばれる底のとがった特殊な土器の破片も発見されていますが、これは紫波町内ではごくまれな例です。
縄文中期の住居跡は、一六~一八棟分確認されていますが、このことは、とりもなおさず、この地に集落が形成されていたことを意味するものです。平安時代の住居跡は少くとも三回にわたって改築されたあとがうかがわれますが、おそらく、近くの低湿地を利用して、米作りをしていた人々のものでしょう。
ところで、この遺跡で特に興味のもたれるのは、北端部に土塁と太い溝が平行して残されていることです。あるいは、城柵跡と結びつくのかも知れません。来年の調査が注目されるところです。


---佐藤 正雄(故人)---

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