ふるさと物語 142『産業を振興する人々-猪原慶蔵-』近代人物脈(21)

「ふるさと物語」【142】〈昭和51年5月10日発行「広報しわ」(第250)〉

「広報しわ」に掲載された記事を原文のまま転載する形式により、紫波町の歴史や人物について読み物風に紹介しています。
(第1回昭和37年3月号から第201回昭和56年4月5日号まで掲載)
そのため、現在においては不適切とされる表現や歴史認識がある場合がありますのでご了承願います。また、 掲載記事の無断転載を固く禁じます。

『産業を振興する人々-猪原慶蔵-』 近代人物脈(21)

猪原慶蔵は、村政や民生の面でも活躍するところが少なくありませんでしたが、それにも増して大きいのは、果樹振興に尽された足跡でした。
その猪原は、明治二十六年三月、二日町新田に生まれました。同四十四年に岩手県立盛岡農学校を卒業すると、一時、家業の農業に従事しておりましたが、大正三年からは、古舘村農会幹事・同技手・不動村農会技手・紫波郡農会技手として農業指導の第一線に立たれました。
猪原が古舘村農会技手をしていた当時(大正中期)のこの地方の畑作は、収益性の低い雑穀や馬糧の粗放栽培が大部分を占めていました。そのため、これをどのように改善していくかが、農業指導者に課せられた大きな問題であったわけですが、これに対して彼は、リンゴの将来性に着目してその栽培を提唱されました。猪原が生涯をかけて果樹振興と取り組むようになったそもそもの始まりは、ここにあったのです。
こうして、猪原は、村内農家にリンゴの植栽を奨励するとともに、栽培技術の統一を図って大樹仕立ての剪定や地域の実情に合った防除方式の普及に努め、さらに春秋二回施肥の新しい栽培技術の指導にも当たられました。
次いで、紫波郡農会技手のころには、北上川東部の畑作地帯に重点を置いて、リンゴ栽培の普及と指導に尽力されました。今日、同地帯には、六百ヘクタールにおよぶ県内最大の果樹主産地が形成されておりますが、その基礎は彼によってつくられたといっても過言ではないでしょう。
農業技術員としての第一線を引退した後も杉ノ上果樹共同防除組合長・古舘果樹組合理事長・古舘果樹生産組合長などに選出されてその道一筋に歩んでこられました。その間、定置配管方式による共同防除組織の結成、わい性台木の導入、紫波郡全域を対象とする果樹広域主産地の形成など、果樹農業の振興に尽された功績はきわめて大きいものがあります。
昭和五十年には、それが認められて勲五等に叙せられ、瑞宝章を授与されました。


---佐藤 正雄(故人)---

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