ふるさと物語 144 『産業を振興する人々 -福田善三郎-』 近代人物脈 (23)

「ふるさと物語」【144】〈昭和51年7月10日発行「広報しわ」(第251)〉

「広報しわ」に掲載された記事を原文のまま転載する形式により、紫波町の歴史や人物について読み物風に紹介しています。
(第1回昭和37年3月号から第201回昭和56年4月5日号まで掲載)
そのため、現在においては不適切とされる表現や歴史認識がある場合がありますのでご了承願います。また、 掲載記事の無断転載を固く禁じます。

『産業を振興する人々 -福田善三郎-』 近代人物脈 (23)

福田善三郎(慶応元年生まれ)は、すでに「政治にたずさわる人々」の項(四九年一〇月号で紹介いたしたように、江柄の手造家の人で、明治の末年から大正初年にかけて衆議院議員として活躍された方でありますが、それとならんで林業振興や産業組合経営の面でも大きな足跡を残されました。
明治初年に行なわれた山林の官私区分(国有林と私有林を区別すること)は、必ずしも適切なものではなく、いろいろの点で問題が残されていました。これを長岡村についてみると、同村の大平地区の山林は、藩政時代から入会山として共同利用されてきた共有地であるにもかかわらず、国有林に編入される始末でした。そこで、善三郎は、これを解放してもらうべく、証拠資料を整えて当局と積極的にかけあった結果、ついにそれが認められて約百町歩の払下げに成功いたしました。そして、旧入会権者中から希望者を募って分割処分しましたが、これがこの地の林業振興に大きく益したことはいうまでもありません。明治四十一年のことであります。
また、善三郎は、育林についても積極的なものがありました。藩政時代においては、たとえ私有林であっても、藩の許可がなければみだりに立木を伐採できませんでしたが、明治になるとその制度が解消されたため、ともすると濫伐におちいりやすい傾向にありました。これを憂い善三郎は、「切ったら植えろ」をモットーとしながら卒先して植木に当たられましたが、これに刺激されて、この地の植林熱は急速に高まるようになりました。このことは、後年になって、県下でも屈指の長岡森林組合を生む素因の一つをなしたとみてよいのでしょう。
一方、明治三十三年になって産業組合法が公布されると、同志と図って大成信用組合(後に信用購売販売利用組合となる)を設立しました。これは、紫波郡下における産業組合のさきがけをなすものでしたが、善三郎は、選ばれてきた初代組合長に就任し、この面でも大いに活躍されました。(この組合の創立年月日をご存じの方がございましたら、ご一報賜わりますようお願いいたします)

---佐藤 正雄(故人)---
 

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