ふるさと物語 147 『産業を振興する人々 -松岡松蔵-』 近代人物脈 (26)

「ふるさと物語」【147】〈昭和51年10月10日発行「広報しわ」(第253)〉

「広報しわ」に掲載された記事を原文のまま転載する形式により、紫波町の歴史や人物について読み物風に紹介しています。
(第1回昭和37年3月号から第201回昭和56年4月5日号まで掲載)
そのため、現在においては不適切とされる表現や歴史認識がある場合がありますのでご了承願います。また、 掲載記事の無断転載を固く禁じます。

『産業を振興する人々 -松岡松蔵-』 近代人物脈 (26)

松岡松蔵は、明治二十九年十一月、丑松の長男として片寄字古道の南家に生まれました。
軍隊を除隊後は、農業のかたわら各種の役職を歴任されましたが、その間の手腕力量が認められて、昭和十六年には志和村助役に推挙されました。当時、志和村の最大の課題は山王海ダムの建設にありましたが、松岡は、北條韶美村長の片腕となって、その運動の第一線で活躍されました。そして、ダムの完成後は、山王海土地改良区理事として十八年間も勤続され、区画整理事業の推進に努力されるなど、地域の農業発展に大きな足跡を残されました。
また、この外では、志和村農業共済組合長・志和村警防団長・紫波町議会議員・紫波町農業委員会長などを歴任して、その道でも貢献するところが大でありましたが、しかし、なんといっても、業績の最大は農協人としての活躍にありました。
彼が初めてその道に関係されたのは、昭和十四年に産業組合の監事に選ばれた時からですが、農業協同組合が発足すると理事に選出され、さらに同二十四年には二代目の組合長に選任されました。これより、組合長の役にあるだけでも二十二年の長きにわたって農協運動に挺身されましたが、中でも特筆すべきことは、複合経営に対する先見の明とその普及に尽された指導力の偉大さであります。すなわち、昭和三十六年、国・県をあげて米の増産運動と取組むなかにあって、米単作の行き詰りを察知した彼は、複合経営の重要性を提唱して、その推進と定着化に努力されましたが、その結果、肉牛・キュウリ・シイタケ・子豚などの作目が産地銘柄を確保できる段階までに成長し、いわゆる「志和型複合経営」の名をもって広く知られるまでになったのです。なお、県の信連・共済連・経済連の理事をも歴任し、三年間は経済連会長の要職にもありました。
これらの功績が認められて、昭和四十三年には勲五等に叙せられて瑞宝章を授与されましたし、同四十五年には全国農協中央会から最高の功労章が授けられました。
四十八年六月二日、七十七歳で没。同日従六位を贈られました。

---佐藤 正雄(故人)---

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