ふるさと物語 153 『産業を振興する人々』 近代人物脈 (32)

「ふるさと物語」【153】〈昭和52年4月10日発行「広報しわ」(第259)〉

「広報しわ」に掲載された記事を原文のまま転載する形式により、紫波町の歴史や人物について読み物風に紹介しています。
(第1回昭和37年3月号から第201回昭和56年4月5日号まで掲載)
そのため、現在においては不適切とされる表現や歴史認識がある場合がありますのでご了承願います。また、 掲載記事の無断転載を固く禁じます。

『産業を振興する人々』 近代人物脈 (32)

25、石杜宗僊・小原鈯童
佐比内字片山の高雄山は、現在でも石灰の産地として知られていますが、この地で最初に石灰の生産に着手したのは、石杜宗僊と小原鈯童の両人とされています。
石杜宗僊(天保八~明治二七)は、医者を本業とするかたわら寺子屋の師匠として郷童の教育にも当たられ、佐比内小学校が創立されるとその初代教師に任命された方です。また、小原鈯童は、和賀郡土沢の出身ですが、迎えられて佐比内鳳仙寺の住職(明治一〇~三三)を勤められた人です。
その創業の時期は明らかでありませんが、この二人が共同で始めたといわれていますので、もしそうだとすると、明治十年代か同二十年代の前半ということになりましょう。

26、石杜倉松・石杜富蔵
石杜倉松(安政二~大正二)は佐比内の久保家の五代目に当たる人であり、石杜富蔵(明治五~昭和一七)はその養子となって六代目を継いだ人ですが、同家では、この二代にわたって高雄山の石灰開発に従事しています。名称を「石杜石灰」といいました。ちなみに、前掲の石杜宗僊は、この久保家の分家に当たります。
久保家がこの事業と本格的に取り組むようになったのは、明治四十一年ごろからでしたが、その最盛期には、発破師一人(宮城県湧谷出身の小野寺留吉)、小割人十数人、焼子五、六人を使用していたといわれます。焼成工場は、現在の「三陸石灰」付近に設置し、燃料には主として木炭が用いられました。製品は、一俵五貫目の俵入りとし、大部分は水田肥料用として郡内に売出されましたが、それを運搬する馬車が常時五、六台は動いていたといわれます。また、一時は盛岡電灯株式会社にも納品しています。
大正末年か昭和初年には廃業していますが、その間の事情については明らかでありません。

27、柏原庄太・石杜春松
石杜源七・伊藤糸治
高橋松五郎・鎌田重蔵
中川喜三治
前掲の四人の外に、これらの人々も佐比内において石灰の生産に当たられたことが知られています。

---佐藤 正雄(故人)---

 

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