ふるさと物語 157 『社会福祉につくす人-高木信教ー』 近代人物脈 (36)

「ふるさと物語」【157】〈昭和52年8月10日発行「広報しわ」(第263)〉

「広報しわ」に掲載された記事を原文のまま転載する形式により、紫波町の歴史や人物について読み物風に紹介しています。
(第1回昭和37年3月号から第201回昭和56年4月5日号まで掲載)
そのため、現在においては不適切とされる表現や歴史認識がある場合がありますのでご了承願います。また、 掲載記事の無断転載を固く禁じます。

『社会福祉につくす人-高木信教ー』 近代人物脈 (36)

高木信教(明治二〇~昭和五一)は、南伝法寺の真宗大谷派光円寺の第十四世。京都の真宗中学校(旧制)卒業。
住職のかたわら調停委員・水分村農会評議員・冷害対策委員・方面委員(民生委員)・社会教育委員にも就任されましたが、特にこの地方における日曜学校の先駆者として忘れてならない人物であります。
そもそも日曜学校というのは、キリスト教団の宗教教育機関として十八世紀の末にイギリスに起こったもので、わが国でも初めから協会の事業の一つとされてきたものでした。ところが、大正年間になると、仏教々団においても真宗を中心としてこれをとり入れる気運が急速に高まってきました。信教が日曜学校の経営に着手したのは、その勃興期の大正五年のことでしたから、正に先駆者の一人ということになりましょう。
光円寺日曜学校の教育内容は、当時としてはきわめて新鮮味にあふれたものでした。すなわち、このころ鈴木三重吉の提唱によって徐々に広まりつつあった童話と童謡を中心とし、それに宗教的立場から簡単な仏教作法を加味するというもので、後には山本鼎の提唱する自由画や自由手芸もとりいれられるようになりました。また、年中行事として花祭りも実施されました。そのため、子どもたちの興味と関心を呼んで地元水分村だけでなく不動・煙山・志和などの他村からも参加者が現われるようになり、その数は常に五十名は下りませんでしたが、その中に後の紫波町長村谷永一郎や矢巾村長高橋重平のあったことが注目されます。指導には信教自らも当たりましたが、この外に小学校の教師たちも協力的に参画しています。なお、後には、煙山村の高橋家を借用して分室を開設するまでに発展しました。
この日曜学校は、ユニークな教化活動として青少年の健全育成に益するところが大でしたから、村当局でもそれを認めて若干の補助金を交付するようになりましたが、しかし、戦後はそれが廃止になったこともあり、それに学校の教員の協力も得がたい情勢となったため、昭和二十五、六年をもって閉鎖されるに至りました。

---佐藤 正雄(故人)---

 

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