ふるさと物語 175『文化を振興する人々-石川善治ー』 近代人物脈 (54)

「ふるさと物語」【175】〈昭和54年2月10日発行「広報しわ」(第283)〉

「広報しわ」に掲載された記事を原文のまま転載する形式により、紫波町の歴史や人物について読み物風に紹介しています。
(第1回昭和37年3月号から第201回昭和56年4月5日号まで掲載)
そのため、現在においては不適切とされる表現や歴史認識がある場合がありますのでご了承願います。また、 掲載記事の無断転載を固く禁じます。

『文化を振興する人々-石川善治ー』 近代人物脈 (54)

さきに述べた巽聖歌が童謡詩人として活躍していたころ、同じ日詰出身で、同じく童謡の創作と取組んでいたもう一人の詩人がありました。その人の名は石川善治。ペンネームを「天沼ないみ」といいました。その創作歴や作品については、なお調査・研究を要する点が少なくありませんが、ここでは、とりあえず知られる範囲であらましを紹介したいと思います。
石川善治は、明治二十三年十月、治太郎の長男として日詰町に生まれました。母のツカは病弱で乳が出なかったため、隣家の藤原クマの乳をもらい受けていましたが、これが機縁で幼少年時代を藤原家で過ごすこととなりました。というのは、まもなく母は死亡し、次いで父は北海道の旭川に移住して薬店を開業することになりましたが、善治はまだちのみ子であったところから、藤原家の好意でそのまま同家で養育されることになったからです。
明治三十四年に郡山尋常小学校(現在の日詰小学校)を卒業すると、盛岡中学校に入学しました。しかし、どのような事情があったのか、同校を中途退学して東京の岩倉鉄道学校に転じています。そして、同校を卒業後は、北海道と東京で鉄道省関係の役所務めをし、最後は広島鉄道局で定年を迎えました。
その石川善治は、昭和十年六月に、天沼ないみの名で東京の歌謡詩人社から童謡集『夢の兵隊さん』を刊行しています。これにいたるまでには、野口雨情に師事したともいわれていますが、それを裏書きするように、童謡集の巻頭には雨情の序詩が載せられています。その作品に共通している特色は、動物を主人公としている点にありますが、その一例を掲げると次のようなものがあります。
ほうほうみみづく
月夜だ ほう
ごろつくごろつく
無駄奉公
泣く子ゐないか
みみづく ほう
刊行された童謡集として知られているのはこの一冊だけですが、ほかにも遺作があるもののようです。関係者の手によって集成されることを願ってやみません。
昭和三十六年、七十一歳で没。

---佐藤 正雄(故人)---

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