ふるさと物語 180 『医業にたずさわる人々(3) 』 近代人物脈 (59)

「ふるさと物語」【180】〈昭和54年7月10日発行「広報しわ」(第288)〉

「広報しわ」に掲載された記事を原文のまま転載する形式により、紫波町の歴史や人物について読み物風に紹介しています。
(第1回昭和37年3月号から第201回昭和56年4月5日号まで掲載)
そのため、現在においては不適切とされる表現や歴史認識がある場合がありますのでご了承願います。また、 掲載記事の無断転載を固く禁じます。

『医業にたずさわる人々(3)』 近代人物脈 (59)

次に明治前期の新人についてみますと、日詰町の木村政太郎と内城齊、北日詰村の岩動正雄、南日詰村の大沼金平、上平沢村の宮杜貞安、土舘村の細川玄達、宮手村の遠藤定嵩、佐比内村の石杜右京、赤沢村の佐々木嘉左衛門と工藤伊三郎、西長岡村の吉田古准、彦部村の木村宗益などがあります。
木村政太郎(安政三年生まれ)は、さきに述べた木村文吾の長男です。初め岩手県小学伝習場を卒業(明治九)して教職にありましたが、間もなく盛岡病院付属医学校を経て県立岩手医学校に学びました。そして明治十四年に同校を卒業すると、東京神田駿河台の池田謙斎(侍医局長官・東京帝国大学総理心得・医学博士・男爵)について内科を研究し、同十七年東京府において医師開業試験に合格しました。同二十五年には盛岡市に開業してかたわら三田俊次郎より眼科を修めましたが、翌年には日詰町に帰って開業し、さらに同三十五年には私立紫波病院(医局員三名)を開設して自ら院長となりました。また、選ばれて紫波郡医会(後に医師会と改称)の会長に就任し、その在任期間は三十年間にもおよびました。このほか日詰町医・紫波郡医・学校医(四校)・娼妓診療医・紫波郡トラホーム検診医・健康診医・済生会診療嘱託・検疫委員などにも委嘱されて幅広く医療活動に貢献されました。なお、日詰町々会議員(五期)や紫波郡々会議員(三期)にも選ばれて、この方面でも活躍しておられます。昭和九年没。
内城齊(嘉永二年生まれ)は、内城良庵の長男です。岩手県立医学校を卒業して医業を継ぎました。昭和三年没。
岩動正雄(嘉永三年生まれ)の修業歴は不明ですが、らい病と梅毒とりん病の治療にすぐれて有名でした。また、県会議員を二期つとめています。昭和十一年没。
大沼金平(天保九年生まれ)は、初め南日詰村の上池家で家塾を開設し、後に南日詰小学校の最初の教師に任用されていますが、医業はその片手間に行ったもののようです。大正十年没。
宮杜貞安については、明治二十六年ごろ上平沢で開業していた記録があるだけで、その他は全く不明です。

---佐藤 正雄(故人)---

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