ふるさと物語 183 『医業にたずさわる人々(6)』 近代人物脈 (62)

「ふるさと物語」【183】〈昭和54年10月10日発行「広報しわ」(第291)〉

「広報しわ」に掲載された記事を原文のまま転載する形式により、紫波町の歴史や人物について読み物風に紹介しています。
(第1回昭和37年3月号から第201回昭和56年4月5日号まで掲載)
そのため、現在においては不適切とされる表現や歴史認識がある場合がありますのでご了承願います。また、 掲載記事の無断転載を固く禁じます。

『医業にたずさわる人々(6)』 近代人物脈 (62)

すでにみてきたように、現在の紫波町地内の開業医は、明治前期を最高として、明治後期から大正にかけて次第に減少の方向にありましたが、昭和期にはいるとその傾向はいっそう顕著となって、昭和十一年ごろには、わずか三名を数えるに過ぎませんでした。このことは、新人医師の少なかったことを意味するものですが、昭和初期の新人でこの地に開業したのは、日詰町の木村不二男ただ一人だけでした。
その木村不二男(明治三六年生まれ)は、さきに述べた頌太郎の長男です。大正十五年に日本医学専門学校を卒業しますと、引続き母校に残って産婦人科学の研究をつみ、昭和四年から日詰町で開業しました。本業のかたわら警察署の嘱託医として長年事故死の検死に従事しましたが、その功績が認められて、昭和四十八年には、勲四等に叙せられて瑞宝章を授与せられ、さらに赤坂御苑における天皇陛下御招待の園遊会に列席する栄に浴されました。また、母子福祉・へき地診療・学校保健・予防接種などの面でも貢献するところがきわめて大でした。昭和三十九年から同四十九年まで紫波郡医師会の会長をつとめられました。昭和四十九年没。
以上述べてきた人々のほかに、郷土出身の異色の医師として岩動康治(北日詰出身、京都府立医学専門学校卒、俳号炎天)がありますが、この方については、すでに「四、文化を振興する人々」の項で述べておきました。
また、他郡市出身の医師で現在の紫波町地内に診療所を開設した人として、瀬川彦太郎(岩手郡渋民村)・後藤尚五郎(盛岡市材木町)・木村宗光(盛岡市大清水小路)の三名が知られています。いずれも明治後期のことで、瀬川と後藤は志和村に、木村は水分村にそれぞれ「出診所」を開設して出張診療を行っていました。
お願い
この「近代人物脈」の中に、おって「海外に移住する人々」の項を設ける予定です。これには生存者も掲げたいと思いますので、移民者の出ておられるお家の方、またはご親類の方は筆者までご連絡をお願いします。

---佐藤 正雄(故人)---

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