ふるさと物語 184 『教育をする人々(1)』 近代人物脈 (63)

「ふるさと物語」【184】〈昭和54年11月10日発行「広報しわ」(第292)〉

「広報しわ」に掲載された記事を原文のまま転載する形式により、紫波町の歴史や人物について読み物風に紹介しています。
(第1回昭和37年3月号から第201回昭和56年4月5日号まで掲載)
そのため、現在においては不適切とされる表現や歴史認識がある場合がありますのでご了承願います。また、 掲載記事の無断転載を固く禁じます。

『教育をする人々(1)』 近代人物脈 (63)

この項では、学校教育の面で活躍された郷土の先人たちに登場を願うことにいたしましょう。とはいっても、そのすべてにわたることはとても至難なわざなので、これらのうちから校長歴をもつ人々だけを限って紹介したいと思います。
校長の職制が法の上で明文化されるのは、明治二十三年に公布(施行は同二五年)された改正小学校令によってでしたが、ただ、これの施行と同時に全部の小学校に校長が置かれたわけではなく、紫波郡の場合は、大半は明治三十年代の初めになって配置されています。ちなみに、それ以前は、校長に相当する者を「首座教員」とか「主席訓導」と呼んでいました。
まず、明治期から大正期にかけて活躍された人々からみて参りましょう。それには、梅沢善次郎・駒嶺高次・大崎栄広・田畑勇太郎・八重島茂・青山達輔・工藤円作・菊池勝蔵・本間亀松・工藤惚吉・太田澄・細川久・大角小作・藤原竹次郎・青山智辨・大沼大蔵・鷹觜善治・鎌田由松・遠藤録郎・阿部庄三郎・駒嶺高直・遠山慶次郎・宝木長次郎・藤尾寿治・竹内次郎・籏幅六太郎・北条韶美・阿部金右衛門・生内多蔵・弥勤地喜章・藤尾太郎・川村武雄・菱川充夫などがあります。
梅沢善次郎(安政五~大正一二)は赤沢の人。明治九年十二月に赤沢小学校の助教を嘱託されてこの道にはいりましたが、同十三年には、いったんこれを辞して岩手師範学校に入学しました。そして、明治十五年に同校を卒業後は、赤沢・亥年(西磐井郡)・日詰・星山・彦部の各小学校訓導を経て、明治三十三年には彦部小学校の校長に任命されました。同三十七年に退職しています。
駒嶺高次(文久元~昭和二)は西長岡の人。明治九年九月から長岡・山屋両小学校の助教を勤めたあと、岩手郡範学校に入学して同十三年に卒業しました。これより赤沢・中野(岩手郡)・長岡の各小学校訓導を経て明治三十三年には長岡小学校長に任用され、次いで古館・星山の各小学校長を歴任しましたが同四十一年には再び長岡小学校長に就任し(同四十五年)、その後も大正十二年まで代用教員をされました。

 


---佐藤 正雄(故人)---

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