ふるさと物語 188 『教育をする人々(5)』 近代人物脈 (67)

「ふるさと物語」【188】〈昭和55年3月10日発行「広報しわ」(第296)〉

「広報しわ」に掲載された記事を原文のまま転載する形式により、紫波町の歴史や人物について読み物風に紹介しています。
(第1回昭和37年3月号から第201回昭和56年4月5日号まで掲載)
そのため、現在においては不適切とされる表現や歴史認識がある場合がありますのでご了承願います。また、 掲載記事の無断転載を固く禁じます。

『教育をする人々(5)』 近代人物脈 (67)

鷹觜善治(明治一五~昭和一七)は南伝法寺の人。明治三十五年に岩手県師範学校を卒業後、軽米・紫波(高等)両小学校の訓導を経て同三十八年には郷里の水分小学校長に任ぜられました。それより郡山(日詰)・彦部・赤石・水分(再)各小学校長を歴任して、大正六年に退職しておられます。
鎌田由松(明治一五~昭和三二)は北日詰の人。明治三十七年に盛岡中学校を卒業してから片寄・水分両小学校の代用教員を勤め、一時青森郵便局に転じた後、再び教育界にはいって郡山(日詰)・紫波・赤石・郡山(再)・赤石(再)・彦部の各小学校に勤務し、この間に検定試験を受けて本科正教員の資格を取得しました。そして、昭和三年には星山小学校に任用されましたが、同五年にいたって退職しています。
遠藤緑郎(明治一八~昭和三四)は宮手の人。明治三十六年に岩手県師範学校講習科を修了して間野々小学校准訓導に補せられましたが、翌年にはこれを辞して同じ師範学校の本科に入学しました。そして、明治四十一年に同校を卒業後は、水分小学校訓導を経て同四十五年には古館小学校長に任用され、それより水分・宮野目(稗貫郡)・日詰の各小学校を歴任して、昭和十一年に退職されました。この間に、高等七等をもって待遇され、従七位勲八等に叙せられています。
阿部庄三郎(明治一九~?)は星山の出身。明治四十四年に岩手県師範学校講習科を終了後、星山・水分・徳田・手代森・長岡の各小学校訓導をしました。そして大正九年には星山小学校に任ぜられ、次いで長岡小学校長となりましたが、大正十二年に退職されました。後に盛岡市へ転任しています。
駒嶺高直(明治二〇~昭和一九)は西長岡の人。明治四十一年に岩手県師範学校を卒業すると直ちに二戸郡女鹿小学校長に任用されました。それより同郡田野小学校長と九戸郡葛巻小学校訓導を経て明治四十五年には佐比内小学校長に任ぜられ、一時退職の後、乙部・手代森・長岡の各小学校長を歴任して昭和十一年に退職しました。この間に、高等八等をもって待遇され、正八位に叙せられています。

 

 


---佐藤 正雄(故人)---

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