ふるさと物語 192 『教育をする人々(9)』 近代人物脈 (71)

「ふるさと物語」【192】〈昭和55年7月10日発行「広報しわ」(第300)〉

「広報しわ」に掲載された記事を原文のまま転載する形式により、紫波町の歴史や人物について読み物風に紹介しています。
(第1回昭和37年3月号から第201回昭和56年4月5日号まで掲載)
そのため、現在においては不適切とされる表現や歴史認識がある場合がありますのでご了承願います。また、 掲載記事の無断転載を固く禁じます。

『教育をする人々(9)』 近代人物脈 (71)

続いて藤原頼吉・阿部源十郎・田畑耕一・菱川充夫・高橋朝雄・北条久人・下河原只行・菊池賢次・藤井正秀・佐々木由太郎・高橋昌二・森田利雄らが登場してまいります。
藤原頼吉(明治三三~昭和五一)は日詰の人。大正九年に岩手県師範学校を卒業。古館小学校訓導を十六年間にわたって勤められた後、昭和十一年には手代森小学校長に補せられました。それより、古館小学校・長岡国民学校・煙山国民学校・煙山中学校・日詰中学校・紫南中学校・紫波第一中学校のそれぞれ校長を歴任して、同三十四年に退職されました。この間に、高等官六等をもって待遇され、正七位に叙せられています。
阿部源十郎(明治三四~昭和四一)は大巻の人。大正九年に岩手県師範学校補習科を修了。釜石・遠野・彦部・赤石・大槌・小友(上閉伊)の各小学校ないし国民学校訓導を歴任した後、昭和二十五年には赤沢小学校長に補せられ、次いで長岡小学校長に転じましたが、同三十三年に至って退職されました。
田畑耕一(明治三五~昭和四九)は星山の人。大正九年に岩手県師範学校講習科を終了。大萱生・赤石・徳田・下長山(岩手)・赤沢・長岡の各小学校ないし国民学校訓導を経て、昭和二十二年からは赤沢小・赤石中・水分小の各学校長を歴任し、同三十三年に退職されました。
菱川充夫(明治三七~昭和一八)は日詰の人。盛岡中学校を卒業して日詰・上平沢両小学校の代用教員を勤めた後、岩手県師範学校本科二部に入学しました。そして、昭和三年に同校を卒業すると彦部小学校訓導に補せられましたが、同年には一年志願の制によって予備役陸軍騎兵少尉に任ぜられています。その後、岩手県属として学務課勤務を命ぜられ、昭和十三年に至って彦部小学校長に任用されましたが、その在職中に臨時召集となり、ニューギニヤに出征してこの地で戦死をとげられました。陸軍大尉に昇進して勲五等功五級に叙せられています。
「海外で活躍されている人」について資料を集めています。お心あたりの方は、町教育委員会内の筆者までご連絡願います。

 


---佐藤 正雄(故人)---

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