ふるさと物語 195 『教育をする人々(12)』 近代人物脈 (74)

「ふるさと物語」【195】〈昭和55年10月10日発行「広報しわ」(第303)〉

「広報しわ」に掲載された記事を原文のまま転載する形式により、紫波町の歴史や人物について読み物風に紹介しています。
(第1回昭和37年3月号から第201回昭和56年4月5日号まで掲載)
そのため、現在においては不適切とされる表現や歴史認識がある場合がありますのでご了承願います。また、 掲載記事の無断転載を固く禁じます。

『教育をする人々(12)』 近代人物脈 (74)

前記のほかに、小学校関係では桜田智辨、山口清があります。
桜田智辨(明治十二年生まれ)は片寄の出身で岩手県師範学校(明治三一年講習科修了、翌年本科進学)を卒業されました。紫波町関係では、片寄小学校准訓導(明治三一)と赤沢小学校長(明治三八~四三)の職にあったことが知られますが、その他については明白を欠く点があるので、調査の上、追記するつもりです。
山口清(大正二~昭和五五)は南日詰の人。昭和六年に盛岡中学校を卒業して、同八年から教職にはいり、川口・土渕・岩館・石切所・赤石各小学校の代用教員ないし訓導、赤石・志和両中学校教諭、煙山小学校教頭を歴任の後、昭和四十五年に一関市の山谷中学校長に補せられましたが、同四十九年にいたって退職されました。
また、旧制中学校や新制高等学校関係では、佐藤源八・山口民三郎・山内源陸があります。
佐藤源八(明治一八~昭和二七)は日詰の人。明治四十一年に東京蚕業講習所養蚕講習科本科を卒業後、福島県立蚕業学校を経て大正五年に盛岡農学校教諭となり、昭和九年に退職されましたが、同十五年に日詰農学校が設立されると、その校長事務取扱に任用されました。
山口民三郎(明治三一~昭和三九)は桜町の人。大正六年に岩手県師範学校を卒業してから、古館・片寄・沼宮内の各小学校訓導を歴任しましたが、この間の昭和七年には旧制中学校と高等学校の数学科教員検定試験に合格しました。それより、北海道(小樽中)や朝鮮(三島高等実業女学校・公立高等女学校)の中等学校教諭を経て昭和十八年に岩手師範学校教諭(翌十九年教授)となり、同二十四年に紫波高等学校長に任用されて同二十八年に退職されました。
山田源陸(大正三~昭和五四)は松尾村出身で後に日詰勝源院の住職となった人。昭和十三年に東京帝国大学文学部哲学科を卒業した後、盛岡・一関各中学校教諭から藤沢・一戸・釜石南・花巻北の各高等学校長を歴任して昭和五十年に退職されました。
訂正-前号の森田利雄の項のうち「古館小・紫波三中・長岡小」とあるのは、「長岡小・紫波一中」の誤りでしたのでおわびして訂正いたします。

 


---佐藤 正雄(故人)---

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