ふるさと物語 198 『俳句をたしなむ人々(3)』 近代人物脈 (77)

「ふるさと物語」【198】〈昭和56年1月10日発行「広報しわ」(第306)〉

「広報しわ」に掲載された記事を原文のまま転載する形式により、紫波町の歴史や人物について読み物風に紹介しています。
(第1回昭和37年3月号から第201回昭和56年4月5日号まで掲載)
そのため、現在においては不適切とされる表現や歴史認識がある場合がありますのでご了承願います。また、 掲載記事の無断転載を固く禁じます。

『俳句をたしなむ人々(3)』 近代人物脈 (77)

橘豊立(大正五没)は、来迎寺の第三十三世住職で、俳号を露渕といいました。
山本喜兵衛(大正五没、五四歳)は、新田町の商家松本屋の人。二度にわたって日詰町長をつとめたほか県会議員に四回当選しています。原敬とも親交がありました。俳号は松濤。
阿部敬七(大正一一没、四七歳)は、習町の桜屋の人で、紫波郡役所の吏員をつとめました。俳句は木村半水に学び、李郷と号しました。
阿部文太郎(大正一一没、七九歳)は、新田町の人、多年小学校教員をつとめました。半水の門下で、俳号は馨斉。
木村頌太郎(大正一五没、五八歳)は、坂の上に生まれ、医者を本業としました。半水に師事して青坡と号し、また書道にもすぐれていました。
北田いそ(没年不明)は、小櫻屋の主婦で俳号を花竹女といいましたが、明治の中年に北海道へ移住しました。
田村さめ(昭和元没、四五歳)は、坂の上の人で、俳句は鎌田たかに学びました。俳号は桂雫。
馬場静(昭和六没、六七歳)は、青森県三戸郡の出身。日詰高等小学校長をつとめられ、退職後は日詰郵便局長に就任されました。如山と号し、紅葉会同人として活躍しておられます。
志村庄松(昭和七没、五七歳)は、鍛治町の人。小学校教員より転じて岩手銀行日詰支店長となられました。俳号は一民。
鎌田りわ(昭和八没、七六歳)は、仲町の生まれ。半水に師事して杳雨と号しました。
田村いつ(昭和一二没、五四歳)は、坂の上の生まれで、半水の門下。「梅の雫」や「赤壁」の紙上で名をなしました。
高橋与五郎(大正一三没、六四歳)は、仲町の白木屋雑貨店の主人。半水の門下で、俳号を白与といいました。
畠山万之助(昭和一四没、六九歳)は、習町でてい鉄工を業とした人。半水の門弟で一葉と号しましたが、大正の初めに北海道の月寒に移住し、この地で吟社をおこして自ら選者となりました。

 


---佐藤 正雄(故人)---

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