ふるさと物語 201 『俳句をたしなむ人々(6)』 近代人物脈 (80)

「ふるさと物語」【201】〈昭和56年4月10日発行「広報しわ」(第309)〉

「広報しわ」に掲載された記事を原文のまま転載する形式により、紫波町の歴史や人物について読み物風に紹介しています。
(第1回昭和37年3月号から第201回昭和56年4月5日号まで掲載)
そのため、現在においては不適切とされる表現や歴史認識がある場合がありますのでご了承願います。また、 掲載記事の無断転載を固く禁じます。

『俳句をたしなむ人々(6)』 近代人物脈 (80)

水分地区では、坂本正喜・鷹觜善治・坂本つね・西田四郎・高木信教などがあげられます。
坂本正喜は吉水の生まれ。私立岩手医学校を卒業し、後に上平沢で開業しています。俳句は紅葉会に属し、東仙と号しました。昭和九年没。五十四歳。
鷹觜善治は、南伝法寺の出身で、長らく小学校長を勤められた人です。紅葉会の創立当時からその会員となり、俳号を天舟と称しました。昭和十七年没。六十二歳。
坂本つねは、坂本正喜の夫人。俳号は桃里。昭和三十年没。四十二歳。
西田四郎は升沢の人。水分村長をはじめ、村議会議長・農業協同組合長などの要職で活躍されました。紅葉会の同人で大正の末頃には自ら句集「モミヂ」の編集にも当っておられます。俳号を翠外。昭和二十五年没。六十六歳。
高木信教は、光円寺の第十四世住職。俳号は心郷といい、鎌田松華や、平井秋香とも交友がありました。昭和五十一年没。
また志和地区に参りますと、岩泉周甫・小野原直福・弥勤地喜章・斉藤友助・浦田藤三郎たちがあります。
岩泉周甫は、父の跡を受けて、上平沢で医院を開業しました。広く俳書を読破して独自の作風をそなえ、かつ、俳文にもすぐれていました。また、志和・水分方面の俳人に呼びかけてたびたび句会を主宰するなどこの道の発展に尽くすところが少なくありませんでした。俳号は子鳳。昭和七年没。六十八歳。
小野原直福は土舘の人。農を本業とし、俳句は紅葉会に属しました。俳号は清泉。昭和十九年没。六十三歳。
弥勤地喜章は上平沢の人で長らく各地の小学校長を勤めた事はすでに述べました。俳句は高橋煙山に師事し、葵川の号を受けています。昭和二十年没。五十二歳。
斉藤友助は、上平沢の人。高橋煙山に師事して鬼紅子と号し、のちに(ホトトギス)同人となりました。また、自ら滝名吟社を創立しています。岩手県医療局職員として各地の病院に勤務し、紫波病院事務長を最後に退職されました。昭和五十一年没。五十九歳。

 


---佐藤 正雄(故人)---

 

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