ふるさと物語 5 志賀理和気神社

「広報しわ」に掲載された記事を原文のまま転載する形式により、紫波町の歴史や人物について読み物風に紹介しています。(第1回昭和37年3月号から第201回昭和56年4月5日号まで掲載)
そのため、現在においては不適切とされる表現や歴史認識がある場合がありますのでご了承願います。

「ふるさと物語(5)」〈昭和37年7月5日発行「広報しわ」(第84号)掲載〉

志賀理和気神社

桜町に鎮座する志賀理和気神社は東北地方でも古い神社の一つに数えられている。古書によると仁寿二年(千百十年前)に志賀理和気の神に正五位下の位階が加えられたことがみえているし、『延喜神名式』にも斯波郡一座としてその名が記されている。明証がないがいろいろの点から考えて志波城が造られて間もない頃からまつられていたとみられている。おそらく郷土の開拓と深い関係をもつものであろう。祭神が不明であるところからエゾの崇拝神ではなかったかと考える人もある。
この神社は一時非常にすたれた事があるらしい。『篤焉家訓』という本によると、三百三十年程前の頃、盛岡城主の南部重直がこの神社を参詣しようと思って家臣にたずねたが誰もわからなかったので、佐藤字に命じて紫波・ひづめのあたりを探させたところ赤石の川岸に三尺四方の古社が見つかり棟札をみたところ志賀理和気神社と書いてあったので初めてその所在がわかったことが記されている。
またこの神社はもと水分にあったという俗説もある。これによると現在の水分け神社はもとヒカリワケ神社といって洸分や光分の文字を当てていたがそれがいつともなく『ミツワケ』に変り、更に社の背後から湧き出る水が近郷に分水されているところから水分神社とよぶようになったというのである。また百七十年程前に書かれた菅江真澄の旅行記によると『しわのいなりは志賀理和気の神のふるい宮あとであると聞いている。』という意味のことが書かれているからその頃にはこのような伝えもあったらしい。いずれにしても紫波町内に奉斎されたことだけはまちがいなかろう。
遠い開拓時代から郷土の人々の心のよりどころとして、地方の教化に果した役割りは大きいものがあったと思われる。
−−−佐藤 正雄(故人)−−−

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