ふるさと物語 7 前九年の役

「広報しわ」に掲載された記事を原文のまま転載する形式により、紫波町の歴史や人物について読み物風に紹介しています。
(第1回昭和37年3月号から第201回昭和56年4月5日号まで掲載)
そのため、現在においては不適切とされる表現や歴史認識がある場合がありますのでご了承願います。

「ふるさと物語(7)」〈昭和37年9月5日発行「広報しわ」(第86号)掲載〉

前九年の役

開拓がようやく板についてと思われる頃、郷土の人々は思いがけない戦争にまきこまれた。ご存じの前九年の役がそれである。一方の安部一族はエゾの子孫であるが、この頃には岩手郡から胆沢郡に至る六郡の郡長を兼ねて勢力を張っていた。対する源頼義は鎮守府の大将で義家はその長男である。この両者がちょっとした誤解がもとで大戦争をはじめてしまったのである。一〇五六年(天喜四)から一〇六二年(康平五)に及ぶ長期戦であった。(詳細は省略)久かたの平和は破られた。郷土の人々は安部軍の一員として続々と戦線にかりだされたことであろう。戦場が県南なのでまだよかったが、それでも直接間接に受けた被害は大きかったに違いない。戦争はいつの世でも悲惨であり否定されるべきものである。
郷土にはこの戦争の主役である安部氏や頼義親子をめぐって色々と伝説がある。次に掲げた。
1.天喜五年頼義が志和稲荷社を勧請(但しこの年頼義は本郡にこなかった。)2.陣が岡は義家の陣営跡3.月の輪の伝説4.小屋敷のアミダ堂は義家の守本尊を安置したところ5.頼義が高水寺に堂塔とゴマ殿を建て十六坊を再興す6.走湯社の義家腰掛石7.南日詰の善知鳥(うとう)坂付近に安部氏の臣、善知鳥文治方が居住8.安部道は貞任が通うた道9.上平沢八幡社の五元日行事は義家の凱旋にまつわるもの-などがある。この外伝説ではないが紫波の古いわらべ歌に「雀こ雀こ」というのがあるが、その中に「その虫こは何んと申します。八幡太郎と申します。」という一節がある。昔は義家は人気者であったらしい。
当時、安部則任のいた比与鳥柵として前記の善知鳥舘や陣が岡が擬定されているが、江刺郡稲葉瀬のツタの木説が有名である。
---佐藤 正雄(故人)---

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