ふるさと物語 17 キリシタンの弾圧

「広報しわ」に掲載された記事を原文のまま転載する形式により、紫波町の歴史や人物について読み物風に紹介しています。(第1回昭和37年3月号から第201回昭和56年4月5日号まで掲載)
そのため、現在においては不適切とされる表現や歴史認識がある場合がありますのでご了承願います。

「ふるさと物語」〈昭和38年11月5日発行「広報しわ」(第100号)〉

キリシタンの弾圧

一六一二年幕府はキリスト教の禁止令を出した。しかし東北地方の取締りは比較的ゆるかったので、元和の頃には本県でもかなり多くの信徒がみられるようになった。
この頃本町の佐比内に朴木金山ができた。京都出身の丹波弥十郎が、藩に金千枚を上納する約束で採掘をはじめたといわれる。一時は産金が豊富で、多くの鉱夫長屋が軒を並べて市も開かれてなかなかの盛況であった。当時、鉱山は藩の警察権が及ばない特別地帯であったから、キリシタンにとっては好適なアジトであった。このため朴木金山にも他領から多くの信徒が潜入してきた。
一六三五年に藩主の重直が七つの罪で幕府から処罰されるという事件があったが、そのうちに領内にキリシタンが多いという一項があった。これに対して藩では、丹波弥十郎が朴木金山へつれてきた千余人の鉱夫の中に多数の信者が入っていたためで、領内の者ではないと釈明している。しかし幕命をおそれた藩では、従来の方針を変えて鉱山にも厳しい手入れを行うようになり、朴木金山でも多くの信徒が検挙された。一部は逃れて上閉伊の小友金山へ潜入し、弥十郎は手入れ前に京都へ逃れたともいわれる。
この頃鉱夫長屋のあった砥が崎部落には、十字を刻んで石碑や、十字架を草花の模様にカムフラジュした墓石が残されており、当時の迫害のあとがそぞろに偲ばれる。
赤沢のキリシタ沢は、昔はキリシタン沢といった。附近に古い廃坑があるところから、この地もまたキリシタンの潜入地であったと思われる。
当時藩ではキリシタン信徒を訴え出た者に賞金を与える旨の高札を領内に提げたが、本町では二日町・日詰・大日堂・犬淵・佐比内・馬場・稲藤・鳥が巾・山王海・破子沢・糠塚・南片寄・石倉・荒谷・沢田・荒屋敷などに立てられた。
−−佐藤 正雄(故人)−−−

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