ふるさと物語 20 是信房(ぜしんぼう)の布教

「広報しわ」に掲載された記事を原文のまま転載する形式により、紫波町の歴史や人物について読み物風に紹介しています。(第1回昭和37年3月号から第201回昭和56年4月5日号まで掲載)
そのため、現在においては不適切とされる表現や歴史認識がある場合がありますのでご了承願います。

「ふるさと物語」【20】〈昭和39年5月5日発行「広報しわ」(第107号)〉

是信房(ぜしんぼう)の布教

鎌倉時代は浄土宗・浄土真宗・日蓮宗・時宗・曹洞宗・臨済宗などの新しい仏教がおこった時代であるが、この時、いちはやく本県に浄土真宗を布教したのが、親鸞の高弟是信であった。
是信は俗名を吉田大納言藤原信明といった。京都の公家である。彼はふとしたことから無実の罪にとわれて福井県に流される運命となった。これが彼の転機であった。やがて罪は晴れて許されの身となったが、信明は世をすてて京都には帰らず、たまたま新潟県に流されていた親鸞をたずねてその弟子となった。是信はこの時からの名である。
その後彼は親鸞に従って関東にくだり、茨城県の稲田郷に滞在したが、ここで師僧から東北地方の布教を命ぜられ、家臣の千原長左衛門と橋本左内の両名をともなって奥州へおもむいた。
初め和賀郡の一つ柏村に滞在したが、ここは布教の余地がなかったので、まもなく本町の彦部にくだって当地の豪農彦太夫のもとに旅装をといた。これから是信の本格的な布教がはじまる。
その結果、彼のもとには多くの信者が集まるようになった。そこで是信はこの地に一寺を建立して石ヶ森山本誓寺と号した。
彼のその後の布教については明らかでないが、文永三年十月十四日、七十八歳の高齢をもってこの地で生涯をとじたといわれ、石ヶ森山にはその墳墓と伝えられるものが現存している。
従者の千原町左右衛門も仏門に入って信円と号したといわれるし、また橋本左内は寺の附近に草庵を結んで住したと伝えられる。
−−佐藤 正雄(故人)−−−

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