ふるさと物語 37 古舘史話(2)

「ふるさと物語」【37】〈昭和41年06月10日発行「広報しわ」(第131号)〉

広報しわ」に掲載された記事を原文のまま転載する形式により、紫波町の歴史や人物について読み物風に紹介しています。
(第1回昭和37年3月号から第201回昭和56年4月5日号まで掲載)
そのため、現在においては不適切とされる表現や歴史認識がある場合がありますのでご了承願います。

古舘史話(2)

南部藩の頃、古舘は本郡における政治の中心であった。郡山城代のおった当時は西根通・中通・東根通・大迫通の四代官所が置かれ代官を筆頭に下代(助役)、物書(書記)、帳付(書記補)、同心(巡査)などの役人が政治と警察の任に当たっていた。城代廃止後には日詰長岡通りと徳田伝法寺通りの二代官所に縮小されたが、前者は二日町に、後者は十日市(後に下町)にあった。代官や下代は盛岡から赴任したが、物書以下は走湯神社の東側に屋敷を与えられて住んでいた。久慈・玉山・小川・下川原・大崎・川村・高橋等十数戸の団地であったが、ここを下小路とも組丁とも称した。この外、御蔵奉行・御山奉行・川舟奉行・植え立て奉行・御境奉行等の出先役人の置かれていた。御蔵奉行は郡山御蔵の管理主任。御蔵は城山の麓に五棟あって、管内から上納された年貢米を保管していた。
二日町と下町は宿場町として栄えたところ、ここには馬継ぎ所や木賃宿等の宿場施設があり、これを中心として一三〇戸程の町屋が軒を並べて賑わった。二日町には各村の村宿があった。これは村役人が出張してきた時の宿泊所でもあり、村方の者が代官所の取調べを受ける期間中泊めて置かれる留置所でもあった。また日詰ほどではなかったが、和賀屋権兵衛・和賀屋七兵衛・小川屋惣十郎等を筆頭に商業活動も盛んであった。和賀屋権兵衛は造り酒屋、宝暦の頃には二百石を生産している。小川屋惣十郎は後に多額の献金をして士分に取立てられた。
高水寺観音は当国七番の札所として巡礼の訪れに賑わった。本尊は十一面観音(前号紫波町の文化財参照)同所の詠歌にいわく雪とほみ さらにこおりのかすみにてあるまま見せよ しまの心を
−−佐藤 正雄(故人)−−−

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