ふるさと物語 38 赤石史話(1)

「ふるさと物語」【38】〈昭和41年07月10日発行「広報しわ」(第132)〉

「広報しわ」に掲載された記事を原文のまま転載する形式により、紫波町の歴史や人物について読み物風に紹介しています。
(第1回昭和37年3月号から第201回昭和56年4月5日号まで掲載)
そのため、現在においては不適切とされる表現や歴史認識がある場合がありますのでご了承願います。

赤石史話(1)

滝名川の北岸に、善知鳥(うとう)館といわれる台地がある。地元では安倍貞任の家臣善知鳥文治安方の居館跡とつたえてきた所である。はたしてそうであろうか。
これに答えるため、38年六月、町の文化財調査委員会では発掘調査を行ったが、その結果、安倍氏時の柵か又は安倍氏につながりのある有力者の居館であろうと推定されるに至った。柵の柱を堀立た跡が五か所発見され堀の構造も調査したが、いずれもこの時代の特徴をもっていることが確認されたからである。伝説はうそでなかったのである。
それではウトウブンジヤスカタという人物はどうであろうか。これについては、允恭天皇の頃に烏頭中納言安方という人物が罪によって青森に流されたとか、安倍貞任の臣鵜藤安方が貞任の遺児をつれて津軽の外が浜にのがれ漁師になったとか、平泉藤原泰衡の頃津軽三郡を支配していた人物に善知鳥文治泰方という者があったとか、またいつの頃か時代ははっきりしないが烏頭大納言藤原安方が罪によって流され外が浜で死んだとか諸伝説があってめちゃくちゃである。
ヤスカタの名が広く知れわたったのは、江戸時代の末に「善知鳥安方忠義伝」という小説が出てからだろうと考えられているが、赤石にもこれを読んだ者がいて、従来からあったウトウの地名にこじつけたのではなかろうか。
広沢寺の過去帳によると、南日詰ウトウ館主雅邦とか同館主雅広の名がみえている。
どちらも斯波氏の頃の人物であるが、当時もウトウの地名があり館も実在していたことがうかがわれる。
ウトウの地名には六説ほどあるが、あばら骨を意味するアイヌ語であろうとする説が有力になってきている。
--佐藤 正雄(故人)---

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